展覧会のツボ
exhibition reviews

2013年前期 個人見学レポート


1)展覧会(演奏会、イベント)名
2)会場
3)会期
4)開催形式
5)企画学芸員
6)展覧会概要
7)評価



1)原美術館「ソフィカル−最後のとき 最初のとき展」
2)原美術館 (東京都品川区北品川4-7-23)
3)2013年3月20日(水)ー6月30日(日)
4)主催:原美術館
  後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
  助成:アンスティチュ・フランセ日本
  協力:サムスン電子ジャパン株市区会社、ギャラリー小柳
6)「最後のとき/最初のとき」と題した本展は、突然視力を失った人々を取材し、写真とテキストで綴った「最後のに見たもの」(2010)と初めて海を見 た人々の表情をとらえた映像「海を見る」(2011)の2作で構成される。さらに、生まれつき目の見えない人々に美のイメージとは何かと問いかける「盲目 の人々」(1986)も加わり、美とは何か、見るとはどういうことかということを、寄せては返す波の音とともに、静かに思考する。

7) 
 品川駅から歩いて15分ほどの閑静な住宅街に、原美術館はあった。展示室は1階2階に分かれており、1階には「最初のとき」、2階には「最後のと き」が展示され、現代アートがデザインされた雑貨や、現代アートに関する雑誌や本が売られたお土産コーナー、おしゃれなカフェスペースがあった。
 「最初のとき」では、白い壁に大きなテレビ画面2つと小さなテレビ画面8つが埋め込まれ、イスタンブールの海を見たことのない人々が初めて海を見た瞬間 を収めた映像が繰り返し流されていた。広い1室にはさざ波の音だけが響き、テレビ画面には一つの画面ごとに1人の人の海を静かに眺める後姿が移される。や がて後姿は正面の姿をとらえた映像に切り替わり、海を初めて見た人々の表情が映し出される。イスタンブールの一般の市民(おじいさんやおばあさん、子供た ち)が被写体となっており、特別声を上げたり、感動や驚きを大げさな表情で表
すことはない。この展示室では、テレビ画面に映し出された被写体の人物、海、波の音だけでなく、空間全体が芸術作品としてあるように感じた。テレビ画面の 前に立つ鑑賞者自身もが、空間に取り込まれるような錯覚をもつ不思議な空間が作り上げられていた。また、展示が伝える明確なメッセージも明らかではなく、 鑑賞者が空間と一体になってアートに参加することが意図された展示なのかもしれないと感じた。
 2階、「最後のとき」では失明した人の写真とともに失明の経緯をつづるテキスト、説明した人が最後に見たものを写真家が写真としてイメージ化して撮影し た写真が10点近く展示されていた。私が普段美術館で見ているようなアート作品と異なり、とてもジャーナリスティックな展示であった。私たちが芸術を鑑賞 する際に、一般的にもっともよく用いている間隔である《視覚》が問い直されるような、不思議な展示であった。はっきりとしたメッセージ性やこたえが明らか でない展示であるが、何か漠然と強い印象をに残す展示であった。

3年 土田あゆみ


             
1) 特別展・ボストン美術館 日本美術の至宝
2) 大阪市立美術館
3) 2013年4月2日(火)〜6月16日(日)
6)最大最高の在外秘宝コレクション、一挙公開!
アメリカのボストン美術館は、“東洋美術の殿堂”と称されます。
100年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサやウィリアム・スタージス・ビゲロー、岡倉天心に始まり、いまや総数10万点を超え、海外 にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さを誇ります。
本展は、その中から厳選された仏像・仏画に絵巻、中世水墨画から近世絵画まで、70点を紹介します。
修復を終え、世界初公開となる曽我蕭白の最高傑作「雲龍図」をはじめ、長谷川等伯、尾形光琳、伊藤若冲などの名品も勢揃い。
かつて海を渡った“まぼろしの国宝”とも呼べる日本美術の至宝が一堂に里帰りします。
(展覧会フライヤーより)

7)
 アメリカのボストン美術館の日本美術のコレクションの中でも名品を集め、展示されている。本展覧会は、ボストン美術館、本コレクションの成り立ちにつ いてビゲローの肖像などを紹介するプロローグの章に加えて、古い時代から順に5つの章立てで構成されている。
 第一章「仏のかたち神のすがた」では、主に奈良時代から鎌倉時代までの仏画が展示されている。中でも法華堂根本曼荼羅図(一面、8世紀)は奈 良の東大寺法華堂に伝わったもので、釈迦が諸尊や衆生に囲まれ、法華経を説く光景をあらわしている。釈迦の法華経説法の場面が描かれた作品はあまり多くな く、とても重要な作品であるそうである。年月を経たことで見づらくなった墨の線も、赤外線を照射することで解明した写真パネルをとなりに設置することで作 品の説明的な役割を果たしていた。
 他にも、毘沙門天像(一面、12世紀後半〜13世紀前半)は鮮やかに残っている着色、中心に堂々とした姿で立つ毘沙門天などが素晴らしい作品 であった。
 つぎに本展覧会のひとつのメインであろう、第二章「海を渡った二大絵巻」では、吉備大臣入唐絵巻(平安時代)と平治物語絵巻(鎌倉時代)の2 点が展示されている。
 吉備大臣入唐絵巻は、遣唐使として唐に渡った奈良時代の学者・吉備真備が、唐人の難問に不思議な力で立ち向かう物語を描いている。
 場面は吉備大臣が船で唐にたどりつくところから始まる。巻子を右から左へと見すすめていくと、唐で吉備真備を待ち構える唐人たちが思い思いに 騒ぎ立てるところがどんどん見えてくる。そして、場面をくぎるように雲が描かれたのち、吉備真備が楼閣へ幽閉されてしまう場面が描かれる。
 場面のくぎりを雲がかすんでいるように描くところや、吉備真備の不思議な力が描かれているところなどが非常に面白い作品であった。
 平治物語絵巻は、源平争乱の幕開けとなった平治の乱を描いた絵巻の大作で、合戦絵巻の最高傑作とも評されている。三条殿が燃えていると聞きつ けた人々が邸内に押し掛ける場面や、火事の現場から逃げ惑う人々を描く場面は、人々がごったがえす様子が生々しく、焦り、戸惑い、恐れなど表情も様々であ る。また、画面に非常にたくさんの人、ものが描きこまれているのも面白かった。
 そして中世水墨画、初期狩野派をテーマにした第三章、近世絵画を取り扱った第四章と続く。最後に第五章では、本コレクションの近世絵画のひと つのメインとして、曽我蕭白が取り上げられている。
 ポスターや図録の表紙にも使用されていて本展覧会のひとつのメインとなる作品である雲龍図(1763)は横幅10メートルを超える大きな作品 で、画面左に大きく龍の顔が、右にはダイナミックな波が描かれている。とても迫力のある作品であった。
 全体を通して、とても見ごたえのある展覧会であった。

3年 藤岡奈緒美



1) ゴッホ展 空白のパリを追う
2) 京都市美術館
3) 2013年4月2日(火)〜5月19日(日)
6)ゴッホの700日(空白のパリ時代)、京都で解明!
オランダ近代絵画の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)は伝説のように伝えられる情熱的な性質とその波乱万丈な人生から、私たちは ゴッホについて「理想家で頑固な、燃えては消える炎のような激しい性格をもつ天才」とイメージしています。初めからゴッホは、天才だったのでしょうか。ア ムステルダムにあるゴッホ美術館の研究チームは7年にわたり、ゴッホの実像を追い求めてきました。その答えは意外にも空白であった、パリ時代の作品に隠さ れていました。今日のゴッホ研究は弟テオとの書簡をもとに検証されています。ところがテオと同居していたパリ時代には、その書簡が存在しません。ゴッホの パリの生活は空白となっていました。しかしパリ時代のゴッホは、作品が雄弁に証言してくれていました。作品たちは、ゴッホの挫折と苦渋からの再生を、孤独 の中の強靭さを、展覧会会場で語りかけます。そして不思議な日本とのかかわりを資料は示してくれます。アルルの地での解放された心とむしばむ心によって、 やがて訪れる悲劇の序章が、見え隠れする空白のパリの700日をあなた自身の眼で追想してください。ゴッホ美術館のなぞ解きをするかのようなスリリングな 展示方法も見どころです。36点の日本初公開の作品や700日間での変貌をみせる8点の自画像もあなたに新たなゴッホを発見させるでしょう。
(展覧会フライヤーより)

7)
 謎解きの要素が強く、本を読んでいるような感覚になる展覧会であった。
 第一章「写実主義からモダニスムへ」と第二章「クローズアップ『ファンゴッホ』」の大きく2つの章立ての中に、いくつもの見出しが含まれてお り、細かい問題設定の見出しの下に作品が2,3点展示されるような構成であった。
 たとえば、第一章2つめの見出しである「The need to sell−もっと作品を売らなければ」では、パリに着いて間もないころの風景画2点展示されている。描かれているモチーフを解明することで制作時期を特定 していく解説がキャプションについており、謎解き、研究といった色の濃い展示であった。
 その中の一つ≪石切り場のみえるモンマルトルの丘≫も描かれている風景の様子から、制作時期が1886年6月〜7月中旬に特定できるそうであ る。
 少し灰色がかった雲の切れ間から青空が見え、丘は緑で初夏の夕方の印象を受けた。丘の上には家や小屋、風車などが連なり、そのまま遠くを見渡 すと緑や畑の風景が広がっている。丘のふもとには立ち話をしているような人物が2人いて、さわやかな、しかし郷愁を感じるような作品であった。
 「After Paris−パリ時代以後」は見出しの通り、パリ時代に芸術家として劇的に成長したゴッホが、パリで学んだことを表出し描いた作品が展示されている。
 ≪耕された畑≫は、パリ時代から約2年後の作品である。青空に白い雲が浮かび、畑が遠くまで広がっている。遠くには家や背の高い緑の木、さら に奥には山が見える。厚塗りの技法を試みた作品で、筆の運びがはっきりとわかるほどに絵具が厚く、力強く塗られている。
 第一章が主にゴッホの生涯の上でどういった時期に制作されたか、ということや、制作時期が前後のもので作品にどういった違いがあるか、といっ たことに注目していた。
 第二章「クローズアップ『ファンゴッホ』」では、「何が描かれたのか?」「どこを描いたのか?」「絵の下に何が?」といった見出しがつけら れ、科学技術を利用した研究結果を交えながらの展示になっていた。
 展示を見終わったあとには、ゴッホについて詳しくなった気分になれるような展覧会であった。 

3年 藤岡奈緒美



1)東京国立科学博物館 常設展展示
2)東京都台東区上野公園 7-20
3)開館9:00−17:00 毎週月曜日休館
4)管理運営:独立行政法人国立科学博物館

7)
 文学部授業の学芸員資格取得のための受講必須講義において、たびたび話題に挙げられた東京都上野公園の国立科学博物館の常設展を見学した。私は東京都国 立 科学博物館を訪れるのは初めてであり、その施設の広さに驚いた。展示は日本館(1階から3階)と、地球館(地下3階から2階)の2館に分かれてなされてい る。日本館には縄文人の骨や土器など考古、服飾や日用品など日本の文化史、日本列島に生息する動植物など日本自然史に関する資料が展示される。一方、地球 館には科学技術の発明品、恐竜の化石や地球上の動植物の標本やはく製、鉱石などが
展示される。特に地球館の動物のはく製、化石、海洋生物にまつわる展示は、展示数の多さと展示スタイルの工夫に圧倒された。特に地球館3階の、277体の 哺乳類と鳥類のはく製が整然と並ぶ。その1室では、照明の絞り具合による雰囲気の演出や来館者が360°観察可能に設計された観覧ルートなど、様々に工夫 がみられた。各動物の種や生物名に関する解説はなく、はく製の展示が並べられているのみ部屋であるが、はく製が一斉に来館者の方を向く形で並べられてお り、圧倒される。東京国立科学博物館の来館者データ内訳を調査すると、来館者は企画展に
訪れるよりも常設展に訪れる割合が多いことが分かったが、展示の仕方の工夫や施設の広さ、扱う分野と資料の豊富さに、常設展の充実がみられた。
 地球館の1室に限らず、東京都国立科学館は、展示品にまつわる解説が非常に少ないことが特徴として見られた。多くの種類、または品数の展示品をならべよ うとする博物館側の意図があるのだろうか。または、来館者が自分自身でそれらを比較し、考え、発見するように誘導する目的もあるのであろうか。一方で解説 ボランティアやリーフレットによる親子向けのミニクイズなど、幅広い層の来館者の需要にこたえるような工夫も見られた。また、1室ごとに、その部屋に展示 される展示物のテーマが決まって展示として完結しており、どの階のどの展示室からめぐってもよいように観覧順が自由であった。
 東京都上野にある科学博物館だが、来館者も多い施設としては、混雑を避けるための工夫や、都合上短時間で展示を巡ることを希望するものへの配 慮も見られる設計、展示順になっていた。博物館施設として多様な来館者数、層のニーズにこたえるためのこのような工夫について博物館関係者には参考となる 部分があるかもしれない。

3年 土田あゆみ



1)フランスの美しい風景−ロココからバルビゾン派、印象派へ
2)ヤマザキマザック美術館
3)2013.4.27-7.15
4)主催、ヤマザキマザック美術館、中日新聞
5)吉村有子
6)19世紀半ばのフランスで活躍したバルビゾン派の画家たち。ジャン=バティスト・カミーユ・コローを先駆けとして、ジャン=フランソワ・ミレー、ナル シス=ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ、コンスタン・トロワイヨン、ジュール・デュプレ、テオドール・ルソー、シャルル=エミール・ジャック、 シャルル=フランソワ・ドービニーは、パリ近郊フォンテーヌブローの森の北西にあるバルビゾン村に集い、のどかな田園風景や素朴な農民の姿を生き生きと描 き出しました。
 彼らバルビゾン派の叙情あふれる風景画は多くの人々に親しまれましたが、牧歌的、神話的な人物をほのぐらい森や林の中に登場させるコローやディアズ・ ド・ラ・ペーニャの作風は、ヴァトーやブーシェら18世紀ロココ絵画の雅宴画や神話画につながる伝統を色濃く感じさせます。そして、戸外でスケッチした自 然風景をありのままに描き表すバルビゾン派の制作態度は、クールベの写実主義やモネやピサロ、シスレーら印象派の戸外制作や光あふれる明るい画面に大きな 影響を与えました。
 この展覧会では、バルビゾン派を中心にロココや印象派も合わせた絵画作品23点と版画61点を合わせて展示いたします(*版画は前期・後期に分けて半数 ずつ展示)。版画の技術はロココの時代に高度な水準に達し、コローやミレー、ドービニー、ピサロらも積極的に版画を手がけました。この展覧会では、その版 画を絵画と対比させながら風景表現の流れを追い、バルビゾン派の創作の魅力に迫ります。(美術館ホームページより)

7)
この展覧会は、本美術館の開館3周年を記念するものである。ヤマザキマザック美術館には、フランスのロココ美術から、ロマン主義、写実主義、エコール・ ド・パリなどのコレクションがあり、フランスの近現代美術史を通して見ることができる。展示室は建物の4階と5階にあり、企画展示は5階の一室にあった。 この美術館の展示室は、いわゆるホワイトキューブのような白い壁では構成されていない。外国から特別に取り寄せた壁紙を用いて、その絵画が描かれた当世風 の内装にしているそうだ。壁紙だけでなく、照明や空調設備なども見えないように設置するなどの配慮がなされている。また、入口と出口が異なる一方通行の一 般的な展示室とは異なり、通常の部屋のように作られている。一般的な美術館に慣れた者としては珍しさを感じた。
 バルビゾン派は、同じ村に住んで同じような絵を描いたように語られることが多いが、よく観察すると、それぞれの画家は取り上げる主題や描法などに様々な 違いが見られる。この展覧会では、バルビゾン派の画家一人一人を順番に説明していたので、このような画家たちの個性が浮き彫りになっていた。個人的に、特 に目を引いた作品は、バルビゾンの七星の一人、ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャの作品だ。≪森の中のジプシーの少女たち≫は、暗い色調の森の中で、 木の晴れ間から挿した光がジプシーたちをスポットライトのように照らしている。この画家はロココ調の絵画によって人気を博していたというが、この作品の持 つ劇的な色彩のコントラストや優雅な人物の雰囲気は、他のバルビゾン派の画家とは異なるように感じた。
 展示室では、バルビゾン派だけでなく、クールベやシスレー、モネの作品が最後に並べられていた。特にモネ以降の絵画の、遠くから見ても目を引く鮮やかさ には、バルビゾン派は到底かなわない。しかしながら、バルビゾン派の作品にある静謐さやドラマ性には、訴えかけてくるものがある。そしてそれは、本展覧会 のバルビゾン派の良質な作品と、それを引きたてる展示室のデザインによって、鑑賞者によく伝わるのではないかと考えた。

4年 高野詩織



1)「絵からとびだしておいで!」
2)北海道立三岸好太郎美術館
3)2013年6月29日(土)〜9月8日(日)
6)三岸好太郎の作品には、〈マリオネット〉や〈道化役者〉、〈飛ぶ蝶〉など、描かれた題材が画面からとびだしてきそうな趣向のものがみられます。画家は それらを介して、絵を見る人たちと直にふれ合いたかったのでしょうか。三岸生涯の代表作をご覧いただきながら、想像力をはたらかせて、絵の中と、私たちの いるこちらがわの空間がつながっていた場合を思い浮かべてみませんか。絵の中の風景にまよいこんだあなたは、そこに何を見つけるでしょう。また、絵の中の 人物は何を話しかけてくるでしょう。ところで、「おばけのマ〜ル」は、絵の中に出入り自由。絵の中のキャラクターも、マ〜ルの誘いに応じて…(本展フライ ヤーより)

7)
北海道立三岸好太郎美術館で開催されている、本年度第2期所蔵品展+特別展示「絵からとびだしておいで!」という展覧会を見学した。この展覧会は、三岸好 太郎の所蔵品を、札幌市生まれの絵本作家中井令さんが絵を担当した、本美術館をテーマにした絵本『おばけのマ〜ルとちいさなびじゅつかん』と関連させて展 示したものである。
 展示室内の順路案内板や絵の説明書きなど、至る所におばけのキャラクター「マ〜ル」や、上記の絵本に出てくる三岸好太郎の作品をモチーフにしたキャラク ターが多数登場している。また、作品のパズルで遊ぶコーナーや、塗り絵ができるブースなどがあり、『おばけのマ〜ル』を観て興味を持った子供たちが、絵本 の世界だけでなく三岸の作品に少しでも興味を抱くように工夫がなされている。私が訪れた日にも、多くの親子が美術館に来ていて、塗り絵ブースには熱心に色 を塗る子供とそれを見守るお母さんの姿があった。美術館側の意図した通りだと考えても良いだろう。
 今回の展覧会のタイトル「絵からとびだしておいで!」には二通り意味がある。ひとつは、上述した絵本『おばけのマ〜ル』の中で、三岸の作品の画中の人物 や動物などが絵から出てきてマ〜ルと会話する場面があることを踏まえた意味。そしてもうひとつは、三岸の作品自体に描かれたモチーフが画面から飛び出して きそうであるという意味である。
 後者の意味において、今回展示された三岸の作品の中では《道化役者》が最も良く当てはまるように感じた。展示室内の他の作品を圧倒する大画面で観る者を 惹きつけ、さらに道化の渡っている綱の一端が手前に伸びていて画面に収まり切らないほどであり、まさに道化がこちらへと飛び出してくるような感覚をおぼえ る。展示場所も一番大きな第三展示室の壁面の真ん中で、観る者に強い印象を残す。
 その他にも、画面の上下をはみ出るように描かれた《花ト蝶》、輪郭を何本も重ねた線で描くことによって絵に躍動感が生まれている《オーケストラ》など、 『おばけのマ〜ル』に描かれた通りに、絵から飛び出てくる感覚を与える作品が意外と多いのだということが、今回三岸の作品に対して持った新たな印象であ る。

3年 坂田大地



1)「旅するアート」
2)札幌大通地下ギャラリー500m美術館
3)2013年8月3日(土)〜11月8日(金)
4)主催:創造都市さっぽろ・国際芸術祭実行委員会
6)人はなぜ移動するのでしょう。それは動かなければ生存できないからです。原始の時代より食料を確保し、配偶者を見つけ、家族や共同体を養うために、人 は他者と交流しなければなりませんでした。そしてこの他者との接触は「同化」でもあり「異化」でもあります。つまり私と他者との共通点が見出されるとも に、私は他の誰とも異なる私となるのです。
 旅とはこの他者との交わりを通して自身へと回帰する長い行程なのです。
 500m美術館の下には地下鉄が走り、また上にあるバスセンターからは札幌と道内各地を結ぶバスが発着しています。このように複数の移動・交通手段が層 を成している場所を行き交う私たちもまた旅の途中にあります。
 ちょっと立ち止まってこれまでに巡り逢った、あるいは逢えなかった人たちのことを想像してみてください。偶然的出来事のうちに何かしらの必然性を感じる ことはありませんか。まったく無意味だと思っていたことが実は重大な意味を持っていた、ということがきっとあるはずです。それに気づけばこれから向かう旅 の技法=アートに多少なりとも変化がもたらされるはずです。
 アートと旅。いや端的に「アートは旅、旅はアート」だというのが今回の展覧会のテーマです。なぜならアートも旅も、人の行う最も根源的で、最も純粋な行 為だからです。事実、ダ・ヴィンチ、モーツァルト、芭蕉など古今東西、多くの画家、音楽家、文学者が旅の中にその生涯を終えました。では現在のアーティス トたちはこのテーマをどのように作品にするのでしょう。映像やパフォーマンス、ドローイングやインスタレーションなど、多様な表現の中にひそむ「偶然的必 然」を発見できれば、それはまさに今回の旅の醍醐味というべきものです。途中下車して、どうぞゆっくりと楽しんでいただけたら幸いです。(本展パンフレッ トより)

7)
 地下鉄大通駅とバスセンター前駅(東西線)を結ぶ地下コンコースにある500m美術館。今回はここで開催されている、「旅するアート」という展覧会を見 学した。地下鉄駅のコンコースという場所柄、通路を行き交う人々は皆旅を、もしくは旅というのが大げさであれば皆移動をしている。そういった場所で「旅」 をテーマとした作品の展示を行なうのである。芸術家が旅をして作品をつくる、そしてその作品を観ている私たちがそこから旅に出て何かに触れたり考えたりす る……という構図が見えてくる。
 思えば私たちの生活は全般にわたって「何かを媒介として自分のことを知る、考える」という行為でできているように思われる。芸術作品を鑑賞することと は、つまりは芸術作品を通して自分の持っている色々な感覚を再発見することなのではないか。とすると旅もまた、そうだとは言えないだろうか。旅の途中、人 は様々な景色を見たり、現地の人と触れ合ったりするだろうが、結局、旅を終えた時、考えることは自分の価値観や世界観が旅行前と変わっていること、つまり 自分の再確認につながることなのだと思う。そういった意味で、旅とアートとは非常に似ている。
 展示されている作品にはインスタレーションや映像などがあり、中でも私が注目した作品は丹羽良徳氏の一連の作品群である。最も印象的だったのは、プロ ジェクターで大きく壁面に映し出されていた《水たまりAを水たまりBに移しかえる》という映像作品である。まず一目見て、映し出されたその状況に驚く。東 京の幹線道路脇で、男の人が屈んで、水たまりに口をつけているのだ。その左隣の壁には、吸い出してタンクに入れた水を福島県の乾いた水たまりまで持って行 き注ぐ光景が映写されている。
 丹羽氏は東日本大震災と、それに従って起こった原発事故に直面し、「自分にできるのは東京の水たまりを福島の水たまりに移すことくらいではないか」と考 えたことがきっかけであるとしている。丹羽氏もまた、この作品を制作することで、「自分にできる」ことが何だったのか、再確認したのではないだろうか。
 芸術家と観る者とがそれぞれが相互に作用し合いながら、自分とは何かを問い、見つめ直す。「旅するアート」を観て、そんな芸術作品の作用を再確認でき た。

3年 坂田大地



1)「て」
2)生活支援型文化施設コンカリーニョ
3)2013年6月22日〜23日
4)主催:ハイバイ、quinada、三重県文化会館、四国学院大学
 共催:AI・HALL
 提携:東京芸術劇場(公益財団法人 東京都歴史文化財団)、レディオキューブFM三重、北九州芸術劇場、NPO法人コンカリーニョ

7)
 今回観たのは、ハイバイの『て』である。「ハイバイ10周年記念全国ツアー」の一環で初めて札幌公演を行った。
 パンフレットに「伝説の作品、カムバック。」とあるように、この作品は2008年の初演ののちも2009年、2011年に再演され、今回の全国ツアーで 四演目となる代表作である。作・主演の岩井秀人氏は同じくハイバイで上演した「ある女」で2013年度岸田國士戯曲賞を受賞していて、今、非常に勢いのあ る劇団だと言える。
 この『て』の、大きな特徴は、同じ光景が二度演じられる点にある。
 話はおばあちゃんの葬式から始まる。現実と回想が混じりながら進みはじめ、やがて、バラバラに暮らしていた家族が久々に死期の近いおばあちゃんを囲んで 集まったある晩の回想となる。
 ここでは次男の視点から、家族の中の顕在化した関係の綻び――つまり父の暴力や、兄弟の中で特に暴力を受けた長男・長女とほとんど被害を受けなかった次 女との関係、またその家族関係を修復する機会をつくろうと全員を集めた長女とこの関係を諦観する長男との対立――といったものが描かれる。
 そしておばあちゃんの出棺のシーンで最初の時点に巻き戻されるのだが、今度は、おばあちゃんの近くで暮らし、父親の暴力に耐え続けた母親と長男の視点か らの回想を通じて、父親から逃れるように出て行った(つまりおばあちゃんとも離れた)兄妹たちにはわからない、潜在的な家族の基盤の歪みが描かれていく。
 そうして潜在的な苦悩が明るみに出た時、父の横暴に耐え、子供たちが屈折して育っていくのをただ見ているしか無かった母親の感情が溢れだし、彼女はただ ただむせび泣く。家族が父の十八番、井上陽水の『リバーサイド ホテル』を大合唱する中、その対極に位置して静かに母親が泣いているという異様な光景は、『リバーサイドホテル』の物悲しい曲調も相まって母の孤独をいっ そう引き立てていた。
 ラストシーン、家族全員が危なっかしく、それでもバランスを保ちながら、おばあちゃんの棺を炉に運んでいく。脆く不安定な絆で繋がれた関係でも、「家 族」として続けていくのだ、続けていかねばならないのだ、という意思表示をもってこの劇は終わる。
 岩井氏いわく、「80%くらいは実話」だという本作品。同じシーンを、視点を変えて二度見せるという趣向によって、単なる家族間の不和の再現で終わらせ ず、より深みのある演劇へと進化させ得たのではないだろうか。

3年 坂田大地



1)群馬県立土屋文明記念文学館移動展 紙芝居の今昔
2)北海道立文学館
3)2013年5月25日(土)〜7月7日(日)
4)主催:北海道立文学館、公益財団法人北海道文学館、北海道新聞社
  協力:群馬県立土屋文明記念文学館
6)日本の大衆文化の中で生まれ育った紙芝居は、他国にはない日本独自の文化です。この展覧会では、群馬県立土屋文明記念文学館の所蔵品により、昭和初期 に誕生した紙芝居の源流そして歴史と現在に至る展開を紹介いたします。街頭紙芝居は、優れた絵画技法による「黄金バット」「鞍馬天狗」などの人気作品に よって爆発的に全国に広がりました。そして、教育、布教などさまざまに活用されました。現在も幼稚園や小学校で生き続ける紙芝居の魅力は、国際的にも広ま りつつあります。本展ではあわせて北海道の紙芝居資料も紹介します。(北海道立文学館リーフレットより引用)

7)
 今回私が訪れたのは、北海道立文学館で開催されていた「紙芝居の今昔」である。私自身は、紙芝居屋のおじさんに出会ったこともなければ、それほど幼い 時に紙芝居に慣れ親しんだという記憶もいのだが、展示されている紙芝居を見ているうちに何故か懐かしく思えてきて心が温まる展覧会であった。
 展示は紙芝居の起源の丁寧な解説から始まっていた。紙芝居の起源は江戸時代の享保期まで遡ることができるそうである。その時期にオランダより渡来した 「のぞきからくり」が紙芝居の初めとされている。その後享和期に入ると、いわゆる「写し絵」と呼ばれる幻灯機が登場し、寄席で上演が行われるほどの盛況で あった。しかしながら、明治後期になると呼ばれる現在の紙芝居に近い形態のものが生まれるのだが、写し絵を期待していた客は不満の声を上げたため、以降立 ち絵は寄席から追放され路地から路地を転々とする娯楽へとなってしまった。これが受け継がれて、1930年代にようやく私たちが想像する紙芝居へと至るの である。
 本展で展示されていた紙芝居は多様で、『蛇男』という作品は血しぶきや目玉をくりぬくなどのグロテスクである一方で、『江戸ッ子ゴロちゃん』はコメ ディー色の強い作品で擬人化された犬などキャラクター描写もかわいらしくなっていた。また『江戸ッ子ゴロちゃん』では、紙芝居なのに漫画のようなセリフの 吹き出しが書かれていて面白いと感じた。そしてやはり紙芝居の代表作とも言える『黄金バット』も展示されていた。また、太平洋戦争中の戦況を伝える『朝日 ニュース紙芝居』なども展示されていて、紙芝居が単なる娯楽ではなかった時代もあったのか新たな発見することもできた。
 本展覧会では休日には実際に紙芝居の語り聞かせが行われており、私もちょうど鑑賞することができた。小さな子からお年寄りまで様々な年代の人が聞き入る 様子を目の当たりにして紙芝居の魅力を再確認することができた。特に紙芝居を鑑賞した後で、紙芝居世代の大人のどこか懐かしむようで、溌剌とした様子が印 象に強く残った。今はあまり見なくなりつつある紙芝居だが、それに郷愁を感じるとともに素晴らしさを再発見できた充実の展覧会であった。

2年 竹嶋康平



1)HIKARI RYOICHI TANAKA:PHOTO EXHIBITION
2)NHKギャラリー札幌
3)2013.8.2〜8.8
6)作者より「タイトルについて」(要約)
写真家を名乗ったり仕事をしていると、たびたび「なんで写真を撮るのか」とか、「いつ撮るのか」とよく訊ねられます。そのたびに私は「う〜ん」と悩み、適 当な言葉でごまかしていたのですが、最近になって、この作品を作りながら少しだけその答えを見つけられています。この作品を作りながら感じていたのは「そ こにひかりがあるからだ」という答えでした。それは比喩などではなく、例えば「キラキラ」や「ピカーン」とかそういった「光」です。仕事のオファーとかコ ンセプトとか、そういったもの抜きで感覚的に撮ったものが今作品なのですが、気づけばそういう光を感じるものを追いかけてシャッターを切っていました。そ れらすべて、光だけでは存在していなくて、常にここにある被写体に寄り添っているものだということです。当たり前だけど、光はそのものもちろんだけど、な にかに映り当たることで自分は光を感じることができるのでした。それぞれが照らしたものを感じていただければと思っています。

7)
  田仲亮一とは、札幌を中心に活動する写真家である。今回の写真展ではタイトルの通り「光」をコンセプトとした写真が展示されていた。ここでいう「光」は、 朝日を受けて微かに映る蜘蛛の巣や少女の遊ぶ川の水面から反射する光といった自然の光は勿論のこと、ライヴハウスで熱狂する人々に注ぐステージのバックラ イトなど人工的な光、そして神社でお詣りする人々や真剣に勉強する女性のように希望や願いといった意味を持つ比喩的な光まで、様々な「光」が絡み合ってお り、それぞれの「光」がそれぞれの作品を構成していた。
  印象に残ったのは、悠々と泳ぐ片腕のないウミガメの写真だ。遥か上方から降り注ぐ太陽の光を受けながら泳ぐウミガメの姿はそれだけで美しいが、注目してみ れば手前側の右前肢がちぎれており存在しない。ウミガメにとっては致命的な怪我であろうに、それを初見では感じさせない様子に生命の輝きという意味での 「光」があるように感じられた。
  展示場には17枚の写真が掛けられており、それとは別に中心に置かれた机の上にアルバムがあった。アルバムには、展示されている17枚は勿論のこと、その 他の多くの写真が収められており、椅子に腰掛けてゆっくりと鑑賞することができた。
  また、この写真展は音楽との関連を重視してある。作者より「タイトルについて」では、Mr.Children「gift」の歌詞が引かれている。また、フ リーライター忠海翔大による言葉ではGRAPEVINE「光について」という曲を絡めてこの写真展を解説している。それだけでなく、先述の2曲のようなス ローでメロウなBGM(サザンオールスターズ「シャ・ラ・ラ」等)が会場で流されていたのも興味深い。展示を鑑賞するのを阻害せず、且つこの写真展のコン セプトである「光」を引き立てる効果を持っていた。音楽を絡めた展示というのは小規模であるからこそ実現できたものだと考えられる。

3年 相良真緒



1)ミュシャ展‐パリの夢 モラヴィアの祈り
2)森アーツセンターギャラリー
3)2013年3月9日〜5月19日

7)
 東京・森アーツセンターギャラリーにて開催された、≪ミュシャ展‐パリの夢 モラヴィアの祈り≫を鑑賞した。
 今回のミュシャ展は、世紀末のパリでの作品や活動を中心として年代を追うという形で行われてきた今までのミュシャ展と違い、今回は彼の芸術家としての功 績を通じて、作品のほかにコンセプトや芸術理念、思想を考察することを目的として構成された展覧会であった。生まれ故郷であるチェコへの祖国愛をテーマ に、チェコで過ごしたころの作品を扱った第一章、サラベルナールとの出会い、『ジスモンダ』で一躍売れっ子となったパリ初期を扱った第二章、アールヌー ヴォーが展開していく中でポスターという新ジャンルで頭角を現し、ミュシャ様式といわれるまでになるパリ中期の作品を扱った第三章、普遍的な美の追求、大 衆に向けて制作された作品を扱った第四章、パリ万博を軸に当時の欧州を表現しようとし、晩年への先駆けとなるパリ後期を扱った第五章、チェコへと帰国し、 チェコ人とスラヴの同胞への民族性をテーマに祖国に精神的な統一をもたらそうと試み、『スラヴ叙事詩』を完成させた晩年を扱った第六章、といったように各 時代を追いながらミュシャという人物に焦点をあてた構成となっている。
 「サロンを訪れる限られた人々のためでなく、広く民衆のための芸術に奉仕できることをうれしく思う。――私が目指すのは金持ちのための芸術ではなく、民 衆にも手の届く芸術である」と生前ミュシャは語っていたそうだ。私が訪れたのは平日の昼下がりであったが、展覧会の盛況ぶりには目を見張るものがあった。 特に展示を抜けて売店に入ったときの賑わいぶりは休日のデパート地下を優に超える印象であった。民衆にも手の届く芸術を創造するというミュシャの志はこの 日本においても果たされているといえよう。                          

4年 中居郁也



1)ANDREAS GURSKY|アンドレアス・グルスキー展
2)国立新美術館
3)2013年7月3日〜9月16日
4)主催:国立新美術館、読売新聞社、TBS、TOKYO FM
  後援:ドイツ連邦共和国大使館、東京ドイツ文化センター、InterFM
  協賛:大日本印刷
6)ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキー(1955年-)による日本初の個展を開催します。ドイツ写真の伝統から出発したグルス キーは、デジタル化が進んだ現代社会に相応しい、すべてが等価に広がる独特の視覚世界を構築し、国際的な注目を集めてきました。本展覧会には、1980年 代の初期作品に始まり、(中略)代表作から、最新作にいたるまで、グルスキー自身が厳選した約65点の作品が一堂に会します。(展覧会ちらしより)

7)
 ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキーによる日本初の個展が国立新美術館で開催されている。
 会場の構成はグルスキー自身が考えたそうだ。作品の大きさは大小様々で、配置も年代順ではなかった。事前に雑誌で小さな写真を観たが、実際に3メートル 近くもの大きさで観てみると、精緻さを特徴とするグルスキーの作品がより深く印象づけられた。プリントは思いの外荒いものも多く、寄って観ても人物の細か な表情までは読み取りにくい。
 作品を幾つか眺めると、何箇所かで撮影したものを足していたり、同じパーツを繰り返し繋ぎ合わせていたりするのが見て取れる。人間の視覚を超え、画面全 体にピントが合ったグルスキーの作品は、わたしの眼の前に迫ってくるようだった。
 会場にはキャプションがないので、鑑賞者が自由に想像を膨らませて観ることができる(実際にあれこれと話し合いながら鑑賞している人々を何組か見かけ た)。情報が与えられないことで、何をどこで撮っているのかという以前に、小さなものに近づいて撮っているのか大きいものを遠くから撮っているのかすら はっきりとしない作品もあり、視覚について色々と考えさせられた。
 中でも私が注目したいのは『バンコク』シリーズだ。これは2011年に制作された連作で、タイのチャオプラヤー川の水面を撮影したものである。ゆらゆら と揺れる暗い水面に光が映り込む。幻想的で美しい水面をよく観察してみると、そこにはごみや油が浮いている。暗く鋭い水面が強く心に残った。
 ひとつ残念に思ったのは、作品に寄って観ると保護のためのアラームが鳴ることだ。小さな音ではあるが、会場の其処彼処で鳴るのでやや気になった。

4年 横川由希



1)レオ・レオニ 絵本のしごと
2)Bunkamuraザ・ミュージアム
3)2013年6月22日〜8月4日
4)主催:Bunkamura、朝日新聞社
  協賛:岡村印刷工業、あいおいニッセイ同和損保
  協力:Blueandyellow,LLC、エリック・カール絵本美術館、好学社、あすなろ書房、至光社、コスモマーチャンダイズィング
6)小学校の教科書にも掲載されている絵本『スイミー』で知られるレオ・レオニ(1910〜1999)は、オランダで生まれ、イタリアでグラフィック・デ ザイナーとして活躍後、戦争のため1939年にアメリカへ移住、そこで初めて絵本の世界に足を踏み入れました。(中略)小さな主人公が自分らしく生きるこ とをテーマにした温かいストーリーの絵本を数多く制作しました。水彩、油彩、コラージュなどさまざまな技法を使って、美しい想像の世界を作り出し、読む人 を軽々と空想の旅へ引き込んでしまうレオニは、「色の魔術師」と称されています。
 本展では、絵本原画約100点、さらに油彩、彫刻、資料など約30点により、レオニの作品世界を紹介します。

7)
 渋谷の街中にあるBunkamuraギャラリーで行われていたのは、オランダ生まれの絵本作家、レオ・レオニの展覧会だ。私は幼い頃からレオニの絵本 を読んで育ってきたため、今回の展覧会を心待ちにしていた。
 会場の壁はカラフルに塗り分けられ、明るく楽しい会場の雰囲気である。彼の絵本を大きく4つのテーマに分け、絵本の簡単なあらすじと共に原画が並んでい た。
 「ストーリーに最もふさわしい手法を使おうと努めている」と本人が言うように、レオニは様々な技法を使い分けて制作にあたっていた。例えば水面や土など の背景、動物の体にはコラージュが使われている。コラージュのもととなる紙も、レオニが絵本に合うように模様を描いてつくったものだそうだ。また、レオニ の作品に度々登場するねずみも、紙を単にハサミで切るのではなく、ちぎって体の形を作ることにより、毛並みの柔らかさを表現している。絵本にコラージュを 使っていたことは知っていたが、色鉛筆や油彩も用いていたことは新たな発見であった。
 また、点数は少ないが絵本原画以外のデッサンや絵画、彫刻も展示されており、絵本作家以外の一面も観ることができた。特に『平行植物』という架空の植物 のシリーズには、レオニの豊かな発想力も表れているようだった。レオニは幼い頃から動物や植物を好み、その経験が制作に大きい影響を与えていることが分 かった。
 会場の一角では、代表作『スイミー』の映像が大きなスクリーンで上映されていた。小さな魚の群れが海の中を自由に泳いだり、集まって大きな魚の形をつく り泳いだりする絵本の場面が映しだされ、幻想的な雰囲気を作り出していた。
 パンフレットや会場のキャプションは、子供に向けたものも一部あった。しかし、原画の配置されている位置は子供には高すぎるため、観るのは難しいと思 う。会場の後半には絵本を読めるコーナーがあり、展示されている原画の絵本を読むことができる。私が訪れたのは夜だったので子供は少なかったが、多くの人 が絵本を手に取り熱心に読んでいた。

4年 横川由希



1)ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家
2)横浜美術館
3)2013年1月26日〜3月24日
4)主催:横浜美術館、朝日新聞社
  企画監修(ゲルダ・タロー):ICP(国際写真センター、ニューヨーク)
  後援:横浜市、NHK横浜放送局
6)世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちま す。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の 二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。(中略)タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな 影響をおよぼしたといわれています。
 本展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されます。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その 陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の 深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていきます。

7)
 写真史においてこれまでほとんどスポットライトを浴びることがなかったゲルダ・タローと、著名な写真家ロバート・キャパそれぞれの個展が併設されてい るような形式の展示だった。
 ゲルダ・タローについては、戦争にまつわる写真が多く、戦闘の場面や遺体安置所におかれた遺体など、生々しい戦争の記録があった。正方形の判型を好んで 使い、人の体が作り出す形の美しさや構図に着目した写真が多いように感じた。
 ロバート・キャパについては、横浜美術館が所蔵する193点のコレクションをすべて展示し、キャパの写真家としてのあゆみをたどることができる構成に なっていた。戦闘の場面というよりは、戦争の中で生活していた人々を活き活きと捉えた作品が多い。表情は喜怒哀楽さまざまだが、特に印象に残っているのは 1939年1月に撮影された『難民の少女、バルセロナ』である。カメラのレンズというよりは恐らくキャパを見つめているであろう真っ直ぐな少女の視線に観 る者はどきりとさせられる。
 展示されている写真が実際に雑誌の中でどのように使われたか、というのを示すためにグラフ雑誌の誌面が併せて置かれており、大変興味深かった。キャパが 地雷に巻き込まれ亡くなった際にはグラフ雑誌でも大きな特集が組まれ、当時からキャパが人気のある写真家であったことが想像できる。
 キャパとタローはスペイン内戦中、行動を共にしていたため、同じ場面を2人でそれぞれ撮影した作品も多い。その視点の違いをもっと紹介してほしかった。 例えば、1937年2月に撮影された『マラガからの難民たち、アルメリア、スペイン』は、悲しそうな表情をした女性を取り囲む子どもたちの写真だ。キャパ は悲しむ女性の顔をクロースアップし、表情に注目して撮った。一方タローは構図に着目し、三角形の安定したバランスをファインダーに収めシャッターを切っ ている。二人の写真家をひとつの展覧会で取り上げているのだから、二人の作品の違いや関係性を作品を用いて紹介してほしかった。

4年 横川由希



1)貴婦人と一角獣
2)国立新美術館
3)2013年4月24日〜7月15日
4)主催:国立新美術館、フランス国立クリュニー中性美術館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
6)フランス国立クリュニー中世美術館の至宝《貴婦人と一角獣》は、西暦1500年頃の制作とされる6面の連作タピスリーです。19世紀の作家プロスペ ル・メリメやジョルジュ・サンドが言及したことで、一躍有名になりました。
 千花文様(ミルフルール)が目にも鮮やかな大作のうち5面は、「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」と人間の五感を表わしていますが、残る1面「我 が唯一の望み」が何を意味するかについては、“愛”“知性”“結婚”など諸説あり、いまだ謎に包まれています。
 本作がフランス国外に貸し出されたのは過去にただ一度だけ、1974年のことで、アメリカのメトロポリタン美術館でした。 本展は、この中世ヨーロッパ美術の最高傑作の誉れ高い《貴婦人と一角獣》連作の6面すべてを日本で初めて公開するもので、タピスリーに描かれた貴婦人や動 植物などのモティーフを、関連する彫刻、装身具、ステンドグラスなどで読みといていきます。
 クリュニー中世美術館の珠玉のコレクションから厳選された約40点を通して、中世ヨーロッパに花開いた華麗で典雅な美の世界を紹介します。(展覧会公式 HPより)

7)
 国立新美術館で開催された「貴婦人と一角獣展」を見学した。この展覧会はフランス国立クリュニー中世美術館所蔵の6面のタピスリー《貴婦人と一角獣》 をすべて展示するものである。このタピスリーが以前にフランス国外に貸し出されたのは、1974年にメトロポリタン美術館に1回あるのみで、日本で見れる のは非常に貴重な機会だったと言える。タピスリーの他にも関連する作品が36点展示され、すべて日本初公開であった。
 入口を入ると《貴婦人と一角獣》が展示される中央の部屋まで主催者の挨拶を除けば何もない。一般的な展覧会であれば作品が展示されているであろうその空 間はただの壁で、まるで異空間へ誘うための通路のようであった。展示会場の中央に位置する展示室は《貴婦人と一角獣》6連作のためだけに用意された空間 で、非常に贅沢な空間構成になっていた。《貴婦人と一角獣》は高さが3メートル強、幅は6連作をすべて合わせると約22メートルとなる巨大なものだが、そ れらの作品が余裕をもって展示できるほどに広い空間をとっていた。本展覧会では《貴婦人の一角獣》のほかに同時代の1500年ごろのタピスリーや当時の服 飾、画中の動植物など《貴婦人と一角獣》に関連するものが展示されていた。これらの展示室は《貴婦人と一角獣》の展示室と相互に行き来が可能で、随時《貴 婦人と一角獣》を参照しながら関連する展示を鑑賞することが可能であった。
 《貴婦人と一角獣》の連作で一番謎であるのが「我が唯一の望み」である。他の5作については「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」の5感を表してい るが、「我が唯一の望み」が何を表しているのかはわかっていない。本作だけ後景にテントが貼ってあるのも特徴と言える。左右のライオンと一角獣がテントの 端を持ち上げており、中央の貴婦人はこれから中に入るようにも見える。貴婦人は何を望んでいるのか、不思議な作品であった。一つの作品を大々的に取り上げ る展覧会というのはあまり経験がなく、その大胆な空間構成に驚いた。個人的に満足のいく展覧会であった。

3年 上符一也



1)フランシス・ベーコン展
2)東京国立近代美術館
3)2013年3月8日〜2012年5月26日
4)東京国立近代美術館、日本経済新聞社
6)主要作品の多くが美術館に収蔵されており、個人蔵の作品はオークションで非常に高値をつけているため、ベーコンは、展覧会を開催するのが最も難しい アーティストのひとりだと言われています。そうしたこともあってか、日本では、生前の1983年に東京国立近代美術館をはじめとする3館で回顧展が開催さ れて以来、30年間にわたり個展が開催されてきませんでした。
 今回、没後20年となる時期に開催する本展は、ベーコンの「世界」を、代表作、大作を多く含むベーコン作品30数点により紹介するものです。(公式HP より)

7)
 この展覧会では、フランシス・ベーコンが画業の始まりとした時期から晩年の作品までを網羅している。作品には豊富な解説が付されているが、ここではそ の内容について考察したい。
《人物像習作 II》には、次のような解説がなされていた。
「不自然な程に首を長く伸ばしているためでしょう、口の部分のみが際立って見え、不気味な印象がいや増しています。」
 この文章は、人物像がおよそ想像できる人間よりも首を長くして描かれていることが、口の部分が際立って見える原因であると述べているように読める。この ように作品の表されたものとそれに至った理由について考えることに私はとても興味があるが、私はこの絵の口が際立つ理由にさらに、首の部分が暗く描かれ て、対照的に口の部分が明るいために強調されているということも加えたい。
 また、≪ジョージ・ダイアの三習作≫については、歪められた顔について人間存在のおかしみやダイアの自己破壊的な性向を描いていると解説されていた。こ う解釈するとベーコンの描いた人物ほぼ全員が自己破壊的にならないか、と言えるほどベーコンはトリプティックを中心とした肖像に同じ技法を用い続けてい る。輪郭にいたってはジョージ・ダイアの写真から作った型によるものが多いので、ここに何らかの意味を見出すこともできるかもしれない。
 フランシス・ベーコンの描く人体像についてもまた、解説に疑問がある。この展覧会では頭の描かれていない人体の習作について、人が必然的に通る移行過程 としての死を描こうとしていると述べられていた。やはりベーコンの描く人体は、欠如しているのかそもそも人体かどうかすら判断するのが難しいものも多く、 現状私にはなんとも言えない。
 こうした解説に私は現在違和感を抱いてしまうが、だからと言って一方的に退けるわけにはいかないと考えている。ベーコンについて、とりわけベーコンの死 生観についてはまだまだ理解が足りないので、この解説は覚えておいて今後考察したい。

4年 紺世邦章
                   * * *

 東京国立近代博物館にて開催された≪フランシス・ベーコン展≫を鑑賞した。 
 展覧会は年代ごとの三つの章とベーコンから影響を受けたダンサーを扱ったエピローグという流れで構成されている。
 導入部の第一章は1940年代の「叫び」をモチーフにした作品から始まる。鮮やかなオレンジ色の室内で黒い傘で顔の上部が隠し、腰をかがめこちらを向き 大きく口をあけている『人物像習作U』が来訪者に衝撃を与える。展開部となる第二章は1960年代以降の作品を扱う。『ジョージ・ダイアの三習作』は制作 当時の恋人を描いた作品だ。山腹ついとして描かれ、大きくゆがめられた顔、作品のほぼ中央にある黒い大きな鼻の穴が目にとまる。結論部となる第三章は 1970年代以降、ベーコンが没するまでの作品を扱う。それまでの作品と比べ無機質で簡素なものとなっている。自画像が増えるが、それは「知人が皆死んで いったから」だそうだ。エピローグにベーコンから影響を受けたダンサーによるインスタレーションで幕を閉じる。
 暗黒舞踏を創始した舞踏家、土方巽はフランシス・ベーコンの作品の特徴的な身体、―人間の精神の奥深くに存在する、目には見えない「不安」を暴力的にゆ がめられ肉塊として描かれる身体から影響を受けたといわれている。豊田市美術館での回顧展では土方巽を師と仰ぐ役者であり舞踏家の田中泯が彼の作品からイ ンスピレートされてダンス・パフォーマンスを「献上」した。正直なところ、舞踏というダンスは同鑑賞しどう理解すべきか悩むところではあったが、先日 NHKで放映された田中泯のドキュメントで彼が振付(と呼ぶべきなのだろうか)を考案する一部始終や公演当日の様子を見るに、舞踏を鑑賞する際には演者と 自らが同一の空間にいることが重要なのだろうという印象を受けた。ベーコンの作品――あの歯を剥き出しにして叫ぶ教皇や肉塊から伸びた触手の先にさかさま に大きく開けられた口などに囲まれることで、ベーコンから舞踏家へ、舞踏家から鑑賞者へと「神経組織にリアリティが伝わるような」(ベーコン)体験をする ことができるのだろう。

4年 中居郁也



1)パスキンの生きた時代―エコール・ド・パリ、都市のまなざし
2)北海道立近代美術館
3)2013/6/29-9/23
4)主催、北海道立近代美術館 後援、札幌市、札幌市教育委員会、JR北海道、札幌アリアンス・フランセーズ
6)パスキン、コスモポリタンとしての人生
ブルガリア生まれのジュル・パスキン(1885〜1930)。20歳の時に国際的な芸術都市パリの地を踏み、1920年代には「エコール・ド・パリ(パ リ派)」と呼ばれた異邦人画家のひとりとして華々しい活躍をみせました。しかし、10代に始まるヨーロッパ各地や北アフリカへの旅行、第一次世界大戦中の 6年におよぶニューヨーク滞在、その間のアメリカ南部やキューバ訪問といった遍歴にみられるように、パスキンはパリを唯一の安住の地としたのではなく、生 涯を通じて「コスモポリタン」として生きたのです。
 内へのまなざし、外へのまなざし
パスキンが、鋭い観察眼と優れた素描力で描き出した各地の光景は、パリ時代に評判を呼んだ官能的な裸婦像と並んで、重要な作品群を構成しています。この 展覧会では、パスキンがパリという大都市の内部と外部を行き来しながら、周囲の世界へと向けたまなざしに注目します。ひとりの画家の足跡をたどることで、 その芸術のありようが明らかになるとともに、彼が生きた時代を軸としてそれぞれの場所が生き生きと浮かび上がってくるでしょう。(美術館ホームページよ り)

7)
 近代美術館の「これくしょん・ぎゃらりい」では、現在、3つの展覧会が催されている。この「パスキンの生きた時代」は、1階の展示スペースの大部分を 占めるもので、約70点もの作品が展示されている。展示の構成は、画家の移動の時系列に沿って、パスキンの地理的移動に着目したものになっている。「コス モポリタン」という言葉がこの展覧会の一つのキーワードであり、様々な地で生活する人々への画家のまなざしがテーマである。それを表すための工夫は、作品 の選択は勿論、展示構成にも表れている。例えば、キャプションに使用されている地図には、都市の位置は示されているが、国境線が描かれていない。これは、 国境にとらわれず街から街へと自由に越境するという画家のイメージによく合っている。
 展示室で最初に展示されている≪良きサマリア人≫は、パスキンがキューバを訪れた頃の作品である。現地の人々は、慈善的な施しを行ったサマリア人に置き 換えられており、そこには画家の、彼らへの敬意が込められているようである。 ブルガリアで生まれ育ったパスキンは、ミュンヘンで挿絵画家となり、その後 もパリ、アメリカ、再びパリへと、様々な移動をしている。コスモポリタンとしてのパスキンは、生まれた地から離れ、パリへ行き、アメリカに渡り、そこから もキューバなどの国に出かけている。放浪の旅でパスキンが描いた情景は生き生きとしていて、非常に魅力的である。本展覧会では即興的に描かれたことが推測 されるスケッチや水彩画が多く出品されており、そこでは初期には挿絵画家として活躍したパスキンの鋭い観察力が発揮されている。展示作品中、最も大きな作 品は、≪放蕩息子≫という題の油彩画である。放蕩息子としての彼を迎えるのは、両親でも恋人でもなく、パリの娼婦である。この作品は、コスモポリタンとし ての画家の、ある種の虚しさを感じさせる。
 展示室内はゆったりとした空間の構成で、休憩用の椅子も多く設置されていたのが、同時期の企画展示とは対照的だった。パスキンの魅力は、油彩画の裸婦像 に見られる「真珠母色」だと言われることがある。本展には、このような油彩画も複数点出品されていたが、それよりも圧倒的に多かったのは版画やスケッチの 作品であった。近代美術館は、パスキンの作品を数多く所蔵している、世界でもトップクラスの美術館なのだということを実感しながら、後者のような作品と ゆったりと向かい合うことのできる、良い展覧会だったと思う。

4年 高野詩織
                   * * *

 パスキン単体の展覧会は近年2度目で、前回は2009年春の「パスキン展」であった。このレポートではそれとの比較を交えながら今回の展覧会の特徴を考 察したい。
 展示物については、今回と前回とで重複するが、前回も今回も、パスキンの活動拠点ごとにパリ、アメリカ、パリと時系列順にコーナーを設けているため構成 まで似てしまっている。しかしながら今回は、都会の光景と郊外の光景を照らし合わせて紹介するという前回とは異なる明確な視点から作品が並べられている。
 特徴的なのは、パスキンの作品描写についてより深く解説してあることである。前回には伝記的なないようを伝えるに留まった解説も、今回はパスキンが絵を どのように描いたかに触れている。例えば彼の描く絵では、都市の裕福も郊外の貧しさも一様に描かれているということがバナーで語られている。
 パスキンの作品は茶や黄土色に近い色で描かれることが多いので、暗い色合いの絵が多い。塗りが厚くないために下地に塗ったくらい色が明るい色の下から見 えてしまうことも画面が暗くなってしまうことの原因だろう。また彼の作品は時期によって様々な特徴があるが、筆で漫画のように輪郭や目を描いたりすること がしばしばある。よく見ると色を塗りわけ、後に描いた対象の輪郭をとっている。塗りが薄いために下描きの線が見えてしまっているようでもあるが、後ろにな る程にその輪郭線はなくなっているので、後から描き加えているはずである。個人的にはあまり好ましいとは言えない描き方であるが、この描き方は彼が挿絵を 描いていたことにもよるかもしれない。人体像や建物を中心に、彼の描くも
のは現実のものと違いぐにゃりと曲がったものが多い。これを私はいわゆる「ヘタウマ」のように見ている。
 今回見たパスキンの作品で最も好ましかったのは≪よきサマリア人≫である。前景に見える人体などは上述のとおりだが、これも私は好きではない。この絵の よいと思う点は、後景の木の陰である。木漏れ日を描いたものであり、木は描かれていないが、作品に奥行きと立体感を感じさせる効果がある。

4年 紺世邦章



1)「画家 岸田劉生の軌跡」展
2)北海道立旭川美術館
3)2013年6月7日(金)‐7月18日(木)
4)主催:北海道立旭川美術館、北海道新聞旭川支社
  企画協力:公益財団法人 日動美術財団
6)近代洋画史上に特異な輝きを放つ岸田劉生。「内なる美」を探究した精緻な写実を経て、晩年は東洋的な美への傾倒を深めました。その創作の軌跡を油彩、 水彩・素描、墨画、版画、装丁画により紹介。(HPより転載)

7)
 岸田劉生は大正から昭和の初期に活躍した洋画家である。おそらく多くの者が彼の名を聞けば油彩画、特に娘の麗子を描いた数々の作品を思い出すだろう。 しかし、今回訪れた「画家 岸田劉生の軌跡」展では、副題に「劉生、再発見!」とある通り、劉生の新たな一面に触れることができる。水彩素描、版画、日本画、そして本の装丁画と決し て有名とは言えないその多面的な劉生の活動について知ることができるという点で個人的には魅力的な展覧会だと感じた。
 とりわけ私が興味深く感じたのは彼の装丁画である。そもそも今までは本の装丁画というものを展覧会などで目にしたことがなかった。また、有名な画家が装 丁画を手掛けているということ自体が私には驚きだった。しかし、初めて目にする装丁画はどれも私の目を惹いた。劉生の描いた装丁画はどれもシンプルで、例 えば植物などのモチーフをかなり簡略化して描いたものなどが多い。しかしながら、そのデザイン性はかなり高いと感じた。本展覧会の他の作品と比べると、装 丁画はお洒落という言葉が似合うと感じた。中でもいくつか紹介されている『白樺』の表紙は印象に強く残っている。「白樺」という文字のデザイン性や文字の 周りの模様の繊細さなどは、油彩などの他の作品には見られない、まさに劉生のあまり知られていない新たな一面である。
 また水彩素描や日本画なども、どれも目新しいものだった。ただ、個人的には装丁画ほどのインパクトは与えられなかった。特に果物をモチーフにしたいくつ かの作品からは劉生の晩年の創作活動の、ある種の雑さのようなものを感じた。そういった意味で私は本展覧会では装丁画のチャプターがメインだと感じた。し かし、だとするならもう少し、装丁画の章に重点を置く工夫があったら良かったようにも思える。
 また展覧会全体を通しては、やはり劉生の有名な油彩画をもう少しは展示した方がよいのではないだろうかということを思った。劉生と言えばどうしても油彩 というイメージが強い。だからこそ、そういった作品と今回の展覧会で展示されていた作品の比較をより楽しみたいというのが率直な意見である。
 本展覧会を通し、私は確かに劉生という人間の再発見ができた。そういった意味ではとても価値のある展覧会を見学できたと思っている。

2年 植木健介
                   * * *

 岸田劉生は、大正から昭和初期にかけて活躍した近代日本を代表する洋画家である。様々な表現様式を会得しながら辿り着いた、無骨な写実的描写によって対 象に宿る深い精神性を鋭く見抜き表現する独自の絵画様式を確立し、『道路と土手と塀(切通しの写生)』や『麗子微笑(青果持テル)』など後に重要文化財と なる作品を始めとした西洋式絵画を手がける。このキリスト教への入信は画家の作品に少なくない影響を与えた。1908年、本格的に絵画を学ぶ為に白馬会葵 橋洋画研究所に入り、当時画壇を先導していた洋画家・黒田清輝に師事しながら外光派の表現を会得。この頃(1910年4月)刊行された文芸誌・美術雑誌 『白樺』を1911年(明治44年)から愛読し始め、翌年には白樺派の武者小路実篤や柳宗悦、英国の陶芸家バーナード・リーチらと交友を重ねる。この『白 樺』と周辺の人物達との出会いは画家の表現を劇的に変化させる最も大きな要因となり、後期印象派(ポスト印象派)の画家たち、特にポール・セザンヌやフィ ンセント・ファン・ゴッホに絶大な影響を受け、この頃の作品は、むしろ模倣に近いものであった。1913年(明治45年)、同会の解散や小林蓁との婚姻を 経て、ルネサンス芸術やバロック様式などの絵画、特にドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの表現手法に感化され、翌年に手がけた作品には写 実的表現への傾倒が顕著に示される。以後、レンブラント・ファン・レインやピーテル・パウル・ルーベンス、ルネサンス芸術期の画家アンドレア・マンテー ニャ、初期ネーデルランド絵画の巨人ヤン・ファン・エイク、ロマン主義の画家フランシスコ・デ・ゴヤなどの古典的絵画表現の影響を受けながら自身の様式を 模索・形成していった。
 今回の展覧会では、岸田劉生の意外な一面を見ることができた。油彩だけではなく、水彩、素描、墨画、版画、装丁画など、様々な作品が展示されていた。そ の中では、正直あまりうまいと思えない作品もあった。後半は東洋の影響を受けているものが展示されていたが、前半の作品に比べると、かなりしっかり写実的 にというよりは、くずしたような描き方でなかなか見られないものであった。展覧会自体はあまり大きいものではないが、岸田劉生について多角的に感じること ができた。

2年 角野広海



1)いわさきちひろ展
2)北海道立近代美術館
3)2013年4月27日(土)〜6月2日(日)
4)主催:北海道新聞社、ちひろ美術館、北海道立近代美術館、北海道文化放送
  後援:北海道、北海道教育委員会、札幌市、札幌市教育委員会、北海道PTA連合会、北海道小学校長会、北海道中学校長会、北海道高等学校長協会、北海道私 立中学高等学校協会、社団法人北海道私立専修学校各種学校連合会
  特別協力:テレビ北海道
  協力:JR北海道
6)いわさきちひろ(1918-74年)は子どものしあわせと平和を願い作品を描き続けた画家です。絵本や雑誌、カレンダーなど、その生涯で9,400点 を超える作品を遺しました。すぐれた観察力による確かなデッサン、「にじみ」や「ぼかし」を生かした独特の水彩表現による多彩な子どもの表現は、今なお観 る者を惹き付けてやみません。本展では、ちひろが精力的に手掛けたアンデルセンの絵本や雑誌に掲載された作品の原画、初期のデッサンなど、ちひろ美術館が 所蔵する作品約130点を展示します。北海道では21年振りとなる、本格的ないわさきちひろの原画展を家族そろってお楽しみください。(展覧会フライヤー より)

7)
 いわさきちひろという名前を聞いて思い浮かぶのは、可愛らしい子どもをモチーフとして描く挿絵や絵本である。水彩画に特有の透明感、明るくカラフルな 色調を持つ、優しげな作風である。まず暗さや不安さといったものとは無縁に思われる。
 展覧会のポスターやフライヤーも、その「一般的な」イメージに沿って作られたと思われる。真っ白な背景に、『あかまんまとうげ』という詩画集の中に収め られた《わらびを持つ少女》(1972年)という絵が使用されている。黄色い花の咲く草原で頭に紫色の小花を付けた少女がわらびを両手で握って立っている という優しい風合いの絵で、展覧会名などの文字や枠、フライヤーの裏面に掲載された作品も同じように明度の高めの色彩が選択されている。展覧会の概要も、 「子どものしあわせと平和」を願う画家であったと書かれているに留まり、これらを見た限りでは、そういった明るいイメージの作品が展示されることが期待さ れた。
 実際に展覧会を見に行ったところ、前半部分は概ねそのイメージ通りの作品が展示されていた。四季をテーマに集めた作品群や雑誌に掲載された童画の原画が 展示され、また、ちひろの得意とした「にじみ」や「ぼかし」、「白抜き」といった水彩画の技法の説明もなされていた。
 しかし、後半に入ると、その作風からは予想もできないような力強さで描かれたデッサンやスケッチなどの作品が展示され、来館者は画家の意外な一面を見る ことになる。また、あの軽やかな雰囲気の水彩画からは思いも寄らないほど、画家の人生に戦争が大きく暗い影を落としていたということも知ることになるの だ。 デッサンへの真摯な向き合い方、挿絵や絵本制作への熱い思い、ベトナム戦争への反戦の思いを込めた晩年の絵本、そして展覧会の所々に書かれたちひろ 本人の言葉などから、画家がかなり意志の強い女性だったことが窺え、ちひろのイメージががらりと変わった。
 ただし、最後が反戦、そして癌による55歳という若さでの死で締め括られていたため、少し展覧会全体が苦味を持って終わってしまった。また、ちひろが本 当はどういう人物か、ということが伝わってきたという点ではとてもよい展覧会であったが、ポスターやフライヤーにおいて、戦争との関わりを少し匂わせてお くことで、もう少し心の準備ができたのではないかと感じた。意外性がある方が印象強いのは承知しているのだが、少しその差が大き過ぎたように思う。

3年 黒田 栞
                   * * *

 可愛らしい子供の水彩画で有名ないわさきちひろの展覧会に行ってきた。この展覧会の作品の数点は、「ピエゾグラフ」という複製画での展示であった。ピエ ゾグラフとは超微小インクドットによる画像再現で、中間色の色彩や筆のタッチ、絵肌の質感などが原画にとても近くなる技術である。耐光性のあるインクを使 用し、いわさきちひろの絵の色合いをそのまま残していく事業を進めているのだそうだ。 
 展示会場の背景は白で、その中にあたたかい色の水彩画が浮かび上がるようであった。会場には絵画のほかにちひろが使用していた絵具などの道具や、ちひろ の描いた作品が使われた絵本などが展示されていた。靴を脱いでくつろぎながら絵本を読むことのできるスペースも用意されていた。
 今回の広告に使用されている《わらびを持つ少女》のイメージそのまま、あたたかくて、輪郭がはっきりとしていなくてふんわりとした印象を与える水彩画が 多数展示されていた。彼女の描くこどもの絵は、目がすごく純粋だと感じた。ほぼ黒一色で塗りつぶされていることが影響しているのだろうか。また、水彩画独 特の絵の具のにじみがすごく美しい作品ばかりだった。
 彼女の作品は「子供」「花」などの日常的な子供を題材とした水彩画が多いというイメージがあったが、今回の展覧会では初期作品の油彩画や戦争を題材とし た作品などの、様々な彼女の一面が見れた気がした。

2年 一戸彩花



1)現代ガラスの半世紀
2)北海道立近代美術館
3)2013年6月29日ー9月23日
6)1960年代に始まったスタジオ・グラス運動は、大規模な工場や職人との共同作業からガラス作家を解放し、作家自身の構想を手ずから形にすることを可 能にした。その結果ガラス作品は工芸の枠を超え、現代美術の中でも語られるようになった。
本展は、1982年から1994年までのガラス作品の企画展を振り返りつつ、多用で刺激にあふれる現代ガラスの世界を紹介するものである。

7)
 展示室の中ほどにある螺旋階段を登った二階で本展は開催されている。
薄暗く静かな空間の中に約30点のガラス作品が置かれていた。 一口にガラスといっても、材質、技法、作家によりその表情は千変万化で、ガラスというものが我々の生活に身近な存在であるだけに、その多様さには驚かされ る。
展示室に入って一番はじめにある《張る》《丸める》と題された作品は、透明な板ガラスを曲げたり丸めたりすることで、硬質なガラスに、まるで紙か布のよう な柔らかな印象を持たせている。この他にも巨大な卵のような作品や水のような作品など、滑らかで有機的なフォルムの作品は多く、思わず触りたくなってしま う。
そうした柔らかな印象のガラスの美しさを全面に押し出した作品に対し、これは本当にガラスなのか、と思わせる作品も幾つかあった。《インター=ネット》と いう作品は、人間の横顔のようなものに様々な色、模様が描かれ、透明感はなく、その素材がガラスであることを感じさせない。《鋭利なるもの》という作品 は、荒々しく削られた人間の胸像で、顔面には銅の針金のようなものが突き刺さっている。痛々しく、グロテスクで、思わず目をそらしそうになる。ガラスは本 当に色々な表情を持っている。
ほとんどの作品がケースなどに入れられていなかったため、間近で観ることができ、それぞれの質感や形をよく観察することができた。あまりに近くにあるため に、思わず触ってみたくなってしまうが、うっかり触って壊してしまったら、と想像するとぞっとする。この、近づきすぎれば壊れてしまう、触ってはいけない のだ。という緊張感も、ガラスの魅力の一つなのかもしれない。
「現代ガラスの半世紀」は、作品数は多くはないが、身近過ぎて普段意識することのないガラスという素材の面白さ、私達が知らない少し変わった表情を存分に 楽しむことができる展示であった。

2年 永谷かのこ
                   * * *

 私は8/1に札幌近代美術館の常設展で行われていた「現代ガラスの半世紀」を鑑賞してきた。
 この展示は1960年代のスタジオ・グラス運動以来半世紀の時が流れた現代ガラスの作品を展示している。
 スタジオ・グラス運動とは小型熔解炉の開発により、それまで大きな工場でなければ製造できなかったガラスが個人の手でも製造できるようになったことを きっかけに、ガラス作家たちが自由に作品を作り出すことを推進する運動のことである。私は現在エミール・ガレの研究を行っているので、同じガラスという素 材を使った今回の展覧会はとても楽しみにしていた。
 展示全体をみて真っ先に感じたことは、現代のガラス作品では、ガラスは完全にアートを作るための素材として扱われているということである。かつてヨー ロッパで装飾芸術として扱われていた、ガラス製品とは全く趣が異なるものばかりであった。ガラスという素材を自在に扱い、型にはまらない独創性あふれる作 品ばかりで非常に興味深い内容であった。
 ガラス作品を鑑賞する際には照明の当て方が当て方が大切であると考えているが、その点に関してもよく考慮されていると感じた。作品1つ1つに合わせた照 明がなされていた。
 作品の造形上の問題(鋭利な部分があるなど)からかもしれないが、ガラスケースにおさめられた作品と、そのまま展示されている作品が混在していたことが 少し残念であった。ガラス作品は彫刻と同じように立体作品であるため、そのまま展示してある方が様々な角度から鑑賞できるためできれば全作品をそのまま展 示してほしかった。
 全体としては非常に楽しむことができた展覧会であった。

2年 西田 真



1)ほっかいどう大マンガ展
2)札幌芸術の森美術館
3)2013年7月13日〜2012年9月8日
4)マンガ王国北海道展実行委員会、
 札幌芸術の森美術館(札幌市芸術文化財団)、 北海道新聞社
6)様々なマンガ作品が生み出される中で、北海道と関わりのあるマンガ家が数多く活躍していることをご存じでしょうか?本展では、往年のスターから現代の ヒットメーカーまで、北海道出身・在住などのゆかりのあるマンガ家、その作品を一堂に会し、展覧いたします。(公式HPより)

7)
 この展覧会は、北海道ゆかりの漫画家をほぼジャンルや世代を問わず並べている。
実際に観覧すると、途中から丁寧に読まなかったにも関わらず2時間以上かかってしまったこと、漫画の流れがわからずに見る順番が混乱してしまった展示がい くつかあったことから、イラストではなく漫画を美術館で展示するという試みは難しいのではないかと思わされた。
 この展覧会の意図するところはなんだろうと考えると、個々の作品や作家のよさを知らせるものになるのだろうが、紹介として広く浅かったためにある意味で は展覧会自体が商品のカタログ状態になってしまっていたのではないかと思う。見きれなかった分については図録で確認しようと思っても、図録は小さく、展示 作品は掲載されていない上作者や作品の簡単な紹介が中心的な内容だった。
 この展覧会に展示されている作品及びその作家について、私が強く関心を抱いているものはなかったが、おそらく展示作品あるいは漫画自体に興味がある人に とってはこの展覧会の価値はまったく異なるものであるはずだと私は考える。魅力として「ヒット作の数々の貴重な原画」を主催者は挙げているが、私にとって は魅力的ではなかった。芸術作品の展覧会でいうところの素描や設計図のようにも思えないのは何故だろうか。しかもそれをもとにしてできたものも複製であっ て、誰もが入手することができるものであると感じ、あまり価値を見出すことができなかったのは非常に残念である。ただ、最初のコーナーにあった安彦良和の ≪起動戦士ガンダム THE ORIGIN≫など、アクリルと思われる絵画作品については技量の高さが伝わり非常に魅力的だった。
 面白かった点は、漫画の制作手法を丁寧に紹介していた点だった。実際の漫画制作機材が展示されていたり、見やすい表でデジタル、アナログに分けつつ制作 フローを紹介していた。そうしてみるとこの展覧会は博物館的であるように私には思われる。展示されている主な作品は複製可能な、本来複製を見るべきもの (要するに漫画の原画)であったり、機材を展示したり、なによりも美術特有の感性的な語彙の介入の余地がなかった点が博物館的であったと思う。
 私はこの展覧会が美術館で行われる意義はなんだろうかと考えてみたが、結局釈然としなかった。敢えて北海道に区切った理由も「ゆかり」という言葉の意味 が広いためになんとも言えず、開催概要からも紹介以上の意図が読み取れないものだった。ように思う。主催や後援、助成している行政法人など、関わった団体 を調べていけば何らかの意図を察することができると考えたがそれは本旨と関係ないので追求しないこととした。

4年 紺世邦章
                   * * *

 北海道出身や、現在も在住している漫画家たちの作品を非常に豊富に取りそろえた作品展である。日本漫画界における重要性、特異性を浮き彫りにするという 文言で展覧会は始まる。大きく取り上げられている北海道にゆかりのある漫画家は優に50人を超える。採り上げ方に差はあるものの、ROOM22「まだまだ います!!北海道ゆかりの漫画家」を見るとまだまだいることがよくわかる。北海道とゆかりのある作家として、「鋼の錬金術士」の大ヒットで有名な北海道忠 類村(現幕別町)出身の荒川弘や、往年の大人気ロボットアニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインをした北海道遠軽町出身の安彦良和、近年実写映 画化され話題を呼んだ「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリなど、現在も雑誌やテレビアニメとして世に作品を送り出し、全国で名を轟かせている。ストーリ性 を持つ漫画のみならず、ながせ義孝が描く「イラストルポ 白石区の銭湯巡り」など雑誌に掲載されるカフェや名所案内の挿絵を描くイラストレーターの作品も多く展示されている。漫画の制作過程の起点となるキャラク ター設定が他のアシスタントへむけて細かく指示されていることがわかる。たとえば、安彦良和の「機動戦士ガンダム the origin」の主人公、アムロの顔の表情について、「アゴは角ばらせない」、「目の彫りは深くしすぎない」や、ブライト館長について「白目は書かない」 といった注意書きが為されていた。
 オタク文化が隆盛し海外からも注目を集めている今、こういった漫画のルーツをたどる展覧会は今後需要を増すことであろう。しかし、展覧会最初の文言にあ る北海道ゆかりの漫画家の重要性、特異性は見えてこなかった。もし次回があるのであれば、対照的な作品の展示もあれば、と思う。

4年 中居郁也
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 この展覧会は北海道にゆかりのある漫画家・アニメーターの作品を展示したものであった。そのためか、北海道が舞台のものや、牧場・獣医関連、北海道の 「地元ネタ」的なもの(そにしけんじの「甘党ペンギン」でのROYCE'の生チョコレート等)といった作品が多く展示されていた。会場に入ってすぐの荒川 弘の「銀の匙」が象徴的であった。
 また、この展覧会ではそれぞれの作家の代表作と比較的マイナーな作品を並べて鑑賞できるため、より作家ごとの個性を見出すことができるようになってい た。
 今回配布された出品リストは各章ごとに作家の氏名五十音順に並んでいたため、必ずしも展示順と一致しなかったが、それとは別に展示レイアウト図が配布さ れたことで、展示内容の順序やベンチの場所を把握できた。しかし、各作家ごとの展示順とリストの順が一致せず、リストを頼りに鑑賞することはできなかっ た。
  「機動戦士ガンダム」ではマンガとしての原画とアニメにする際のキャラクター資料を見比べることができた等、興味深い展示は数多くあった。その中でも最も 興味深かったのは川原由美子の作品であった。「TUKIKAGEカフェ」ではアール・ヌーヴォー的な絵が特徴的であった。台詞や回想は吹き出しに囲まれて おらず、絵の周りにデザイン的に散らされていた。あくまでも絵が主体である漫画であった。また、「ななめの音楽」では、すべてのページが4コマずつ均一な 大きさで区切られていた。漫画のストーリーの印象を左右するコマ割りに敢えて変化をつけないことで、ストーリーが淡々と進むような印象を受けた。
 また、無料で観覧できるスペースには「マンガ図書館」が展開されていた。ここには、壁に沿って置かれた本棚に展示されていた作品展示順におかれており、 中心にはクッションや座椅子がありゆっくりとマンガを鑑賞できる空間が確保されている。展示されていたうち殆どのものが揃っており、且つそれぞれ全巻置か れていた。展示されていた該当ページにはそれぞれ付箋も貼られていた。マンガは現在進行形の大衆文化であり商業的な面も色濃く存在する。どのようにしてこ れらのマンガを入手し公開するに至ったかは非常に興味深い。

3年 相良真緒
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 北海道出身および在住の漫画家やアニメーター、また北海道を舞台にしたマンガを対象に取り扱っている展覧会である。約70名の漫画家・アニメーターと、 約150点もの原稿や扉絵を展示しており、見るのも一苦労なほどの大容量である。
 各マンガの原稿はそれぞれ10〜20枚ほどあり、そのマンガをちょこっとだけ立ち読みするような展示となっている。知らない漫画家・マンガが多数いたの で、漫画家の紹介がなされていたのは良かった。しかし作品の説明がなかったので、どういう内容なのか説明があれば知らないマンガの鑑賞ももう少し楽しめた だろう。
 マンガによってはセリフが鉛筆で書いてあったり、ワープロで文字を打ち込んだ紙が貼り付けられていたり、中にはセリフが入っていないものもあった。知ら ないマンガでセリフ無しのものは、話の流れがわからなかったので何らかの形で分かるようにして欲しかった。
 また、途中にアナログ・デジタル両方のマンガの制作手順が説明してあるのに加え、原稿には印刷に出ない青ペンで下書きをしていたり半透明なシートに指示 を書いてあるものがあり、原稿はこのように描くのだという見本にもなっていたように思う。
 中にはiPadを用いたものもあった。周りには紙の原稿が展示してあり、iPadではそのマンガの絵のみ(セリフ無し)を見ることができるようになって いる。ただ、iPadに触って良いのかわからず少し躊躇ってしまったので、何らかの指示があれば鑑賞者も困惑しないだろう。
 後半のところでは、「北海道マンガ家ゆかりの地マップ」なるものがあり、北海道と漫画家たちの出身地や在住地が一目でわかるようになっていた。
 全体を通しての感想は、マイナス面では「もう少しマンガのフォローをしてほしい」「分量が多すぎて飽きる」、プラス面では「知らなかったマンガも読んで みたいと思った」ということである。個人的には、ほとんどが読んだことのないマンガだったため、原稿よりも扉絵や表紙などのカラーイラストがあればより楽 しむことができたように思う。

2年 本多美沙
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 今回の「ほっかいどう大マンガ展」では北海道にゆかりがある漫画家やアニメーション作家の作品が展示され、北海道に数多くの著名な漫画家がいることに驚 かされた。漫画の展示では、短いながらもストーリに沿って数コマ展示されていたのでその作者の作品を絵としてだけでなく作品の流れなども知ることができる 展示であると感じた。展示の章の区切りとしてはヒーロー漫画やギャグ漫画等の漫画のジャンルで区切るとともに北海道を題材にした作品という、北海道ゆかり の漫画家の漫画と北海道の関係性をクローズアップした展示もあり、北海道の漫
画家であるが故の独特さも出せていたと思う。
 また「マンガ展」ということもあり、若者向けな印象を受けていたが、子供からお年寄りまで展示を見ていて、漫画の歴史と影響力が大きいものになっている ことがわかった。 
 しかし今回の展示で気になっことはどこまでが「北海道の漫画家」なのかということである。北海道出身や幼少期に移り住んだりしたのであれば北海道の漫画 家としても問題はないと考えられるが、展示された作品の中には移住してまだそこまで日の経ってない漫画家もいて、これを「北海道ゆかり」とするのは疑問に 感じる。まだ数年しか住んでいいない漫画家の作品に北海道とのつながりがあるとしていいのだろうか。また展示の対象を「北海道の漫画家」としたために「北 海道を舞台にした作品」でありながらも展示対象とならなかった作品も多くあり、北海道が漫画に与えた影響を示すのには不十分であるように思う。全体として も北海道が舞台になった作品は少なく、ともすれば観客が展示された作品がすべて北海道にゆかりがある漫画家が描いた作品であることを忘れてしまいそうであ る。
 今回の展示に合わせて芸術の森美術館のギャラリスペースでは展示された作品の単行本が読めるスペースとなっていた。展示で興味を持った作品を実際に読め るのは嬉しいものであったが、同じ観客がずっと居座り続けることになりかねず、観客の入れ替わりを作れるのかが問題になるだろう。

2年 町田義敦
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 札幌芸術の森美術館で7月13日から9月8日まで開催されている「ほっかいどう大マンガ展」を見学した。この展覧会は北海道にゆかりのあるマンガ家やア ニメーターを特集した展覧会である。展示物は基本的にマンガの原画1話分で、この他にカラーイラストやマンガ雑誌が展示されていた。原画1話分であること と出品作家が約70名であることが相まって総展示数は1000点と、かなり展示数の多い展覧会であった。実際に、展示会場では上下2段にわたって原画が展 示されており、展示スペースを有効活用していたように思えた。この展覧会はヒット作品、少年マンガ、少女マンガ、といったジャンル別に9章で構成されてい た。
 本展覧会でキャプションに書かれていたのは作家と作品名、作家のプロフィールのみであり、作品の解説はされていなかった。作品によっては何が描かれてい るのかわからない純粋な絵画と違い、マンガは「読めば分かる」ため、解説の必要は低いように思われた。また、マンガの中にも文字情報が多数あるため、作品 解説まで読んでいると疲れてしまうということも考えられる。作品名のキャプションは壁に対して垂直になっており、今までにみたことがない斬新なものに感じ られた。壁に対して垂直になっていることで作品と作品を区切る線の役割を果たしているのではないかと思われた。
 このようなマンガ展で問題となるのは本来冊子のかたちで読むことを想定しているマンガの一部を展示することに意味があるのか、ということであろう。本展 覧会では展示するのが原画である、という点がマンガを冊子の形で読むことととの大きな違いである。原画はマンガ雑誌や単行本に印刷されたものよりも高精細 であり、どのように描いたのか、どのように修正したのか、といったことがよく分かるように思われた。確かに原画は不特定多数の人間に読まれることを想定し て制作されるものではないが、マンガ家の描き方を見たいと思う者にとっては十分に鑑賞に値するもののように思われた。
 本展覧会の客層は普段の展覧会の客層と異なるように思われた。普段の展覧会に比して若年層の観客が多いように見て取れた。これは、絵画や彫刻といった美 術のファン層とマンガのファン層が被るところもあるだろうが、割合異なる、ということだろう。美術のファンがマンガに触れることによって、またマンガの ファンが美術館という施設に触れることによって、互いの分野について興味を広げられるきっかけとなればよいと思った。

3年 上符一也



1)シャガール展
2)北海道立近代美術館
3)2013年6月29日〜8月25日
4)主催:北海道立近代美術館、北海道新聞社
  後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、北海道、北海道教育委員会、札幌市、札幌市教育委員会、北海道PTA連合会、北海道小学校長 会、北海道中学校長会、北海道高等学校長協会、北海道私立中学高等学校協会、社団法人北海道私立専修学校各種学校連合会、NHK札幌放送局
  協賛:トヨタ自動車、大和ハウス工業
6)20世紀を代表する画家の一人として世界中で高い人気を誇るマルク・シャガール(1887〜1985)。宙を舞うカップルや動物、現実離れした鮮烈な 色彩など、その幻想的な絵画の数々は多くの美術ファンを魅了しています。その一方で、シャガールは第二次世界大戦後の後半生、歌劇場や美術館、ヨーロッパ 各地の大聖堂、大学、議会などの公共空間を飾るモニュメント(記念碑的作品)も手がけています。大空間を飾るそれらの作品は、(中略)多彩な技法と形式に よるもので、60歳を越してなお、新たな技法で巨大なスケールの作品に挑み続けた、その旺盛な制作意欲と才能には驚くべきものがあります。
 本展では、華やかなパリ・オペラ座の天井画下絵をはじめ、(中略)シャガールの代表的なモニュメント作品を日本で初めて本格的に紹介します。

7)
 シャガールは第二次大戦後、公共空間のための作品や舞台芸術にも積極的に取り組んだ。それらを中心に、シャガールの生涯における芸術活動を見わたせる 展覧会の構成となっていた。このようなコンセプトでの展覧会は、芸術家の新たな一面を知るきっかけになり、よい試みだと思う。
 会場に入ってまず目を引くのは、オペラ座天井画のためのカラフルな下絵である。シャガールはひとつの作品のために何度も下絵を描いている。初めは色やモ チーフを思いのままに描いた荒削りなものが、細かな変更を加えながらだんだんと詳細になっていく様子を比較しながら観ることができた。また、各舞台作品の 部分を取り出して描いたものも多い。いくつもの方向からイメージを膨らませ、ひとつの作品に昇華させていったのだろう。複数の舞台作品をテーマとしたこの 作品は、エッフェル塔やオペラ座、凱旋門などパリの名所を交えながら、シャガールの自由なイメージで名作の新たな表現がなされている。
 本展覧会では陶芸、タピスリーなど様々な形式の作品が展示されており、シャガールの幅広い才能を窺い知ることができる。そんな中でも彼の色彩が特に生か された分野はステンドグラスであるように思う。『メッス大聖堂内陣北側薔薇窓:シンボルに囲まれたキリスト』は、花や葉を形どった青いガラスが優しく光を 通している。青といっても均等なものではなく濃淡があり、幻想的なシャガールの世界観が表現されている。これは異なる色のガラスを重ねあわせるなどの技法 により可能となったそうだ。ステンドグラスに限らず、シャガールが持つイメージを実現させる職人の技が、彼の作品を一層引き立てている。また、ステンドグ ラスやモザイク画といった大きな作品は、スクリーンで上映されていた。もちろん実物には及ばないであろうが、美しい色彩やモチーフを堪能することができ た。
 関連事業として、宮の森美術館での写真展をはじめ、コンサートや講演など数多くのイベントが企画されている。特にイジスによる制作風景をとらえた写真は 広告にも使われており、興味があるのでぜひ訪れたい。

4年 横川由希
                   * * *

 今回訪れた「シャガール展」では、フランスの有名な画家であるマルク・シャガールの主に後半生の作品を見ることができる。本展覧会の大きな特徴としては やはり、オペラ座の天井画やメッス大聖堂内陣北側ステンドグラスなどのための下絵、バレエの舞台や衣装のデザイン画などを見ることができる点であろう。 シャガールの有名な作品の、あまり知られていない制作過程のような部分に触れることができたことは貴重な経験ができたと思っている。
 その中で個人的に印象が強かったのは第2章「精神の光‐祈りの造形」に掲げられた「メッス大聖堂内陣北側薔薇窓:シンボルに囲まれたキリスト」とその下 絵、最終下絵であった。展覧会場を進んでいて、急に視界にこの作品が目に飛び込んできたときには本当に息をのんだ。初めに感じるのは、これぞシャガールと も言えるような色彩の美しさだが、作品に近づいて見てみると、その技巧の繊細さなども見て取れる。油絵の作品などに見られる細かな色使いが、まさかステン ドグラスでまで見られるとは思っていなかった。シャガールにしかできない独創的な芸当で作られたのだろうと感じた。
 他に個人的に興味深いと思ったのは第1章「祝祭の空間‐色彩の交響」に展示された「バレエ『ダフニスとクロエ』の衣装」の作品群である。細かな装飾や舞 台衣装に特有の派手な色使いなどは単体で見るにはどれも満足のできる作品であった。しかし空間として、その作品があることによって違和感を生んでいるよう な気もあった。これは個人的な印象でもあるので何とも言えないが、もう少しそういった展覧会における空間ごとの調和について考慮して欲しいと思った。
 また全体を通してであるが、順路の指定や作品の配置については少し不親切であるような気がした。私が訪れたのは平日の昼ごろ、とても来場者の少ない時間 帯であるにも関わらず、通路の狭さや進行方向の分からない人の人溜りが見られた。これは当然のことであるが見る側が見やすくなければいい展覧会とは言えな い。展示された作品などはすばらしいものが多かっただけに、少しだけもったいなさを感じてしまった。

2年 植木健介
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 シャガール展は、20世紀を代表するマルク・シャガール(1887-1985)の、44歳以降の後半期の作品250点を集めたものである。その対象は人 々がよく見知っている油彩画だけではなく、パリ・オペラ座を始めとする天井画やステンドグラスに加え、版画や舞台衣装、コラージュ、陶板画、モザイク画、 タピスリーなど様々な手法を用いた作品やその下絵であり、日本ではあまり知られていないシャガールの多種多様な作品を展示している。
 受付横の壁には、非常に巨大な《平和》の下絵が飾ってあり、展示室に入る前でもシャガール作品をじっくりと細部まで眺めることができる。
 第1章では、「祝祭の空間―色彩の交響」という題で、オペラ座天井画ための下絵やバレエの衣装デザインと実際の衣装、「ダフニスとクロエ」の版画集(リ トグラフ)などが集められていた。天井画の下絵は、色のついていない線画から配色・構図バランスを練ったもの、そして最終下絵である10分の1サイズの油 彩まで幅広く残されていて、作品が出来上がっていく中での変化を発見することができる。
 衣装模型の区画の奥にある、上半分が壁で覆われた部屋からはスクリーンがちらりと見え、何があるのだろうと期待させる効果を持つ。そのスクリーンはとて も圧巻で、正面に3面と上部に1面配してあり、実際に教会の中で天井画やステンドグラスを見上げたり見下ろしている錯覚にとらわれる。この展覧会の目玉と 言ってもよいだろう。
 第2章「精神の光―祈りの造形」では、聖書から主題をとった作品や聖書の挿絵、教会のステンドグラスとその下絵を中心に、第3章「南仏での安息―晩年の 境地」では花や動物たちや恋人たちを主題にした様々なジャンルの作品を中心に集めている。中でも本物のステンドグラス《メッス大聖堂内陣北側薔薇窓:シン ボルに囲まれたキリスト》は非常に美しい。ガラスを重ねることで無限の色彩と陰影を作り出す中世の技法を用いて、シャガールの豊かな色彩を再現することに 成功している。また、陶芸や陶板にも挑戦しているほか、何点かあるタピスリーも、シャガールの特徴である微妙な色彩の変化やかすれた筆致までもを正確に再 現しており、様々な素材・手法であってもシャガールの魅力を引き 出すことができるのだと感じた。
 シャガール展は、今まであまり見る機会がなかったシャガールの油彩以外の作品を見ることができる、満足のいくものであった。

2年 本多美沙
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 北海道立近代美術館の特別展、シャガール展を見学してきた。展覧会場に足を踏み入れたらまずパリ・オペラ座の天井画制作のために描かれた多くの下絵が展 示されていた。下絵の数々を見比べていると、シャガールがどの色をどの部分に置くか試行錯誤していることが感じ取れ、いかに色を大事にしているかが伝わっ た。
 次のスペースにはバレエの衣装デザインが飾られていた。衣装デザインという割には抽象的な絵だと感じたが、実際に飾ってあった衣装や会場で流れていたバ レエの映像を見ると、この衣装デザイン画そのままの雰囲気が伝えられていると感じた。
 展覧会の前半では、色鮮やかな絵画を多数みることができたが、展覧会の最後のスペースに展示されていたシャガール晩年の作品では、色の中に浮かび上がる 白がとても綺麗だった。ガラスの作品も展示されていたが、色の中に浮かび上がる、光を受けた白がとても美しかった。
 上述のバレエの衣装の他、タピスリーや皿、大理石に絵が描かれたものなど様々なジャンルの作品が展示されており、シャガールの活動範囲の広さが感じられ る展覧会となっていた。ただ、様々なものが狭いスペースにちりばめられていたせいか、少しごちゃごちゃとしていて進みにくいとも感じた。
 
2年 一戸彩花
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 私は8/1に札幌近代美術館で行われていた「シャガール展」を見学してきた。研究室の先輩がシャガールの研究を行っていることもあり、多少の予備知識を 持って鑑賞することができたため、非常に興味深い展覧会であった。
 内容として私が一番素晴らしいと感じたのはシャガールによるガラス作品の展示であった。特に会場の一角の壁一面に展示されていたステンドグラスの作品は 息をのむような美しさであった。展示の仕方も素晴らしく、ガラスの後ろから光を当て透過光によるステンドグラスの輝きが引き出されていた。また、シャガー ルの手掛けた教会のステンドグラスや、モザイク画など非常に大規模な作品を映像で紹介する展示が設けられていた。正面とその両側に一枚ずつの3枚、天井に 一枚の計4枚の画面を使い、実にすばらしいものであった。有名なオペラ座の天井画もここで紹介されていた。
 しかし残念な点もいくつかあった。まず作品数が多かったため展示の順路が複雑で迷ってしまうところがあった。展示は全部で3章構成であったが、1章から 2章に移る際の順路が特にわかりにくかったように感じた。次に展示室の最初ではオペラ座の天井画の下絵を展示していたのだが、その部分の部屋の作りが狭く 受付を通って入ってきた人が混雑してしまっていた。その一角を抜けるとそのような込み具合は緩和されるのだが最初の部屋の構成は、動線への配慮が少し足り ない気がした。
 内容としては満足できる展覧会であったが、限られたスペースでいかにたくさんの作品を効率よく展示するかという問題の難しさに気付く機会でもあった。

2年 西田 真
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 本展示は、札幌の道立近代美術館を封切りとして、仙台、広島、静岡、名古屋の順に巡回する展覧会の最初の展示である。大規模でかなり手の込んだ展示と なっていた。
 シャガールが衣装デザインを手掛けたバレエ「ダフニスとクロエ」に関する展示では、デザイン画だけでなく、2004年に撮られたバレエの映像の中で、そ の衣装デザインが実際に着られている場面を流し、また実際に制作された衣装を展示することによって、シャガールのデザインがどのように舞台上で実現したか というのを見ることができた。
 第二次世界大戦を経験したシャガールが後半生で手がけた、公共空間に設置された代表的なモニュメント作品の何段階にも及ぶ下絵やスケッチが展示されてお り、その構成や制作過程が見られた。
 下絵だけでなく、オペラ座の天井画やニース大学のモザイク画、ランス・ノートルダム大聖堂とハダサー医療センター、そしてサールブールの教会のステンド グラスといった本展覧会の中心とされる作品が、映像化され、明かりを落とした小部屋で前方に3面、天井に1面張られた巨大スクリーンに6分30秒に渡って 投影されており、本来ならば持ってこられない完成形の作品をも現実に眺められたかのようだった。映像を天井のスクリーンで回転させたり、左から右へと流し たり、拡大したりと、映し方にも工夫が見られた。
 特に天井画は、円形の外側を下、中心を上として描かれており、本来ならばどの向きからも鑑賞できるはずのものである。下絵は壁に掛けられていたため、残 念ながらある一方向からの鑑賞しかできなかったが、天井のスクリーンに投影され回転されることで別の方向からの鑑賞も可能となっていた。
 ただ、これらの作品はまとめて放映されてしまっていたため、それぞれの下絵とのつながりが見えなくなることがあった。ハダサー医療センターのステンドグ ラスの下絵は、完成形の映像の後、12枚の第5段階が先に展示され、その後そのうち4枚の第1段階から第4段階までが小部屋で展示されていた。また、折角 の区切られた展示スペースが初期段階の下絵で埋まっているのは、下絵は確かにこの展覧会では大事なのだが、少し勿体無く感じた。
 また、キャプションについて言えば、墨を使った下絵が多かったので、日本との繋がりを疑う人は少なくないと思うのだが、全く説明の無かったことや、その 人生の流れ、妻との関わりという視点からは書かれていないのが少し気になった。

3年 黒田 栞
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 「シャガール展」は、日本未公開のものを中心としたマルク・シャガールの作品250点を一堂に集めた展覧会である。パリ・オペラ座の天井画や、ステンド グラスなど、知られざるシャガールの世界を垣間見ることができる。
 展示室は三つの章に分けられており、各章はそれぞれ、第一章「祝祭の空間ー色彩の交響」、第二章「精神の光ー祈りの造形」、第三章「南仏での安息ー晩年 の境地」と題されている。第一章では、パリ・オペラ座の天井画の下絵や、バレエ「ダフニスとクロエ」の衣装なデザイン画など、舞台にまつわる作品が多く展 示されている。実物の衣装も展示され、その脇では、バレエの映像が流されていた。
 第二章は、ステンドグラスの下絵や聖書の様々な場面を描いた作品が展示され、シャガールの宗教的な信条や生い立ちなどが垣間見られるようである。メッス 大聖堂のステンドグラスは、重ねられた色ガラスにより複雑な色彩を放ち、非常に神秘的であった。
第三章は恋人や花嫁、動物などをモチーフにした作品が多く展示されていた。全体的に優しい雰囲気のものが多く、晩年のシャガールの心情の変化が読み取れる ようだ。
それぞれの章はどれもテーマが明確であり、作品に統一性もあって、非常に見やすいつくりになっていた。映像や、実物の衣装、ステンドグラスなどもあり、 シャガールのちがった一面を見ることができるように思う。
 天井と壁のスクリーンで天井画やステンドグラス、モザイク画などを見れるスペースでは、まるで自分が目の前で作品を観ているような気分を味わうことがで き、展覧会に持ってくることのできない作品も充分に楽しめる工夫がなされていた。
こうした映像の上映や、衣装の展示により、展覧会全体が立体的で臨場感のあるものになっていたと言えるだろう。また、展示スペースも所々入り組んでいたり と単調ではなく、観ていて疲れず、次はどんな作品がくるのだろう、とわくわくできる展示だった。

2年 永谷かのこ
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 私が今回、北海道立近代美術館で見学したのは、20世紀を代表する画家であるシャガールの全てに迫った「シャガール展」である。近代美術館に所蔵されて いる作品をはじめ、マルク・シャガール国立美術館やその他個人のコレクションなど日本では未公開の作品を中心に約250点も展示し、大変見応えのある展覧 会となっている。私が見学に行ったのが七月の三連休だったのもあるのだろうが、多くの人で賑わっており、シャガール展への注目度の高さがうかがい知れた。
 入ってすぐにさっそく、「第T章、祝祭の空間―色彩の交響」として本展のメインの一つでもあるパリ・オペラ座の天井画についての展示がされていた。特に オペラ座天井画のための下絵が大量に展示されており、シャガールの制作過程がわかりやすく紹介されていた。また、シャガールがデザインを手がけた舞台衣装 も展示されていて、天井画とはまた違った角度からシャガールの劇場に対する思いを知ることができ面白かった。そして、完成した現在のオペラ座の天井画は大 型スクリーンで再現されており、大変美しかった。
 続いて、「第U章、精神の光―祈りの造形」では、シャガールのキャンヴァス上の絵画にとどまらない幅広い作品が次々と紹介され、圧倒された。壁画やステ ンドグラスの大型再現展示、陶板画、タピスリーなどが展示され、シャガールの創作意欲の高さに驚かされた。特に、宗教的主題に取り組んだ「聖書シリーズ」 という作品群が数多く展示され印象に残った。
 そして最後が、本展の章立ての中で最も心を惹かれた「第V章、南仏での安息―晩年の境地」である。ここでは、晩年に手がけた絵画作品だけでなく、レリー フや陶芸、彫刻など年を重ねても一向に衰えることのなかったシャガールの制作意欲にまた驚かされたのである。特に展示されていた作品の中でも私が気になっ たのは《サン・ポールのアトリエ》と《村の風景を前にした食卓》である。《サン・ポールのアトリエ》は、背景が全体的に白や茶色で落ち着いた色合いが、 シャガールらしい鮮明な色遣いで描かれている花瓶の花を引き立てていた。また、《村の風景を前にした食卓》では、シャガールがよく描く空中に漂うカップル が鮮やかな赤色で描かれている一方で、空は透き通るような美しい青色で彩色されており、作品全体がゆったりとまとまっているように感じられ印象に残った。
 様々なシャガールの作品を見ることができて、本展のテーマ通り「シャガールの全て」を知ることができたような充実感が見学後に残った。

2年 竹嶋康平
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 今展覧会ではシャガールがてがけたモニュメント作品や舞台衣装、また新たな表現を目指し制作したガラス工芸やタピスリーなど、普段シャガールの作品とし て語られる「絵画」とは違う作品が展示されていて、自分の全く知らなかったシャガールの多彩さ、創作意欲を知ることができた。しかしその作品にもシャガー ルの作品にある、感情のこもった表情や寄り添う男女などが見て取れ、シャガールの作品としての共通性は見ることができた。
 展示会場に入ってすぐにオペラ座の天井画のスケッチが吊るすように展示されているため、会場に入った観客に強い印象を与え、作品の大きさやデザインを伝 えるには効果的であると思う。またスケッチ群の展示によって、シャガールが天井画を作る際にモチーフの選定と別にどのような色の配置や組み合わせをするか を考えていたことが分かり、観客がシャガールの、作品の製作工程の一端を知ることができるはずである。また聖堂や病院のステンドグラスなど、今回紹介する 主要な作品は、美術館に運び込めない作品であるために映像ブースが設置されていたが、編集がしっかりしていて、光を浴びたステンドグラスの映像は美しく、 幻想的な色彩の中にも厳かな雰囲気が感じられた。
 ただ、作品の大きさがバラバラであったり、展示の配置の関係上の問題かもしれないが、順路としては少し迷いやすく、混雑している印象をもった。分岐路で 両方の道に「順路」の標識があったときは一旦道に入ってみないとどちらを通るべきかわからなかった。
 またシャガールの作品はひとつの作品に多くのモチーフが描かれ、一つの物語であるようなものがあり、実際聖書を題材にした作品では異時同図的にいくつも の人物やシーンが描かれている。そのため大型の油彩は、近づいて細部にどのようなものが描かれているか見たかったのだが、近づくと照明によって絵が照りか えってしまってうまく見ることができなかった。難しいかもしれないが照明を弱めたり、高い位置に置く必要があると思う。

2年 町田義敦
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 パリオペラ座の天井画を中心として展開している第1章祝祭の空間‐色彩の交響では、オペラ座天井画の全体の構図、各部分の配色、描かれるそれぞれの題材 のディテールが、どのようにシャガールの中で変遷していったかを下書きを通して知ることができる。様々な画材を用いて熟考している様子がうかがえる。続い てラヴェルのバレエ「ダフニスとクロエ」の各役の衣装デザインの下絵が並ぶ。そのキャラクターのみではなく、周りの脇役や舞台背景を含めてデザインしてお り、実際の衣装そのものも展示されている。ストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」やモーツァルトの歌劇「魔笛」の衣装デザインもしており、国や時代を問わ ず、バレエ界からの信頼を持っていたことがわかる。第2章精神の光‐祈りの造形では、ステンドグラスを始めとした、ユダヤ教を題材にした宗教的な作品が展 開される。展示ではメッス大聖堂のステンドグラス実物が展示しており、見物である。肌サー医療センター付属シナゴーグのステンドグラスのための下絵では、 第1段階から第5段階まで方眼線入りの下絵から色が加わり、細部の訂正が加えられていく流れを知ることができる。
 今回のシャガール展は主にオペラ座天井画前後の、建築物に付随する作品を中心とした展覧会であった。1950年以降、1980年以前の期間でまとめられ た作品群は、大戦以後のシャガールを知るには十分であったが、彼が2度の大戦をどう経験し生きてきたのかが見えてこず、加えて妻ベラへの一途な思いが作り 上げた彼の特徴を語らずに終えてしまったように思える。シャガールという人物に迫る展覧会ではなく、シャガールという人物の、他の芸術分野に対する寄与度 を知る展覧会であった。

4年 中居郁也
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 今回はシャガール展に行った。今回の展覧会では、シャガールについてのさまざまな作品を見ることができた。絵画だけではなくステンドグラスや彫像作品も 見ることができた。しかし、一部進路がわからなくなる展示の仕方があったと感じられた。
 まず初めに、パリ・オペラ座の天井画下絵がたくさん展示されていた。これらを見比べると、どのような作品にするかというシャガールの模索について感じる ことができた。配置と色彩のバランスなど、シャガールがどのようにこの天井画を描こうとしていたのか、その過程を見ることができてとても楽しめた。私に とって特に印象深かった作品をいくつか挙げたい。
 一つ目に、《「魔笛」の思い出》である。この作品は全体的には青くぼんやりしているが、その中の所々に描かれた赤色が印象であった。また、所々が点で描 かれていたのも印象的であった。
 二つ目に、ステンドグラスの作品である。特に青色に輝くステンドグラスはとても美しかった。シャガールの絵が光に照らされて輝く姿は、理想や神聖さを表 しているように感じられた。
 また、後半にはシャガールの彫像作品や彫刻作品も見られた。しかし、シャガールにおいては彫像作品や彫刻作品よりも絵画作品やステンドグラス作品の方が 美しいと個人的に感じた。シャガールの作品には色彩豊かな印象があったが、彫像作品や彫刻作品においては鮮やかに彩られたものが少なかったためにそう感じ たのだと思われる。また、シャガールの描き方を、この三次元の世界に出してしまうと何か違和感が感じられた。シャガールによって描かれた世界は、私たちの いる世界へとつながってはいないように感じられた。シャガールの描いたものは、シャガールの絵画や世界観の中にいるからこそ美しいと私は考える。
 シャガールについてもう一つ興味深いと感じられたのは、モチーフの問題である。それについては詳しく述べることができない。しかし、モチーフについて考 えることでシャガールの魅力をもっと知ることができると思われる。

2年 角野広海 
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 北海道立近代美術館で6月29日から8月25日まで開催されている「シャガール展」を見学した。本展覧会は20世紀を代表する画家であるマルク・シャ ガールの作品を250点ほど展示するものである。展覧会は3章立てて構成されており、1章がパリのオペラ座の天井画や舞台美術に関するもの、2章がキリス ト教やユダヤ教の宗教に関するもの、3章が南仏の頃の作品に関するものとなっていた。画家として有名なシャガールであるが、絵画作品以外にも彫刻やタピス リー、彼がデザインした衣装など、多様な作品が展示されており、彼の才能の多才を伺わせた。展示数が約250点を多めであるが、これは舞台美術のデザイン 画や天井画などの下絵が多数展示されていたことが主な理由だと思われる。これらの絵は完成品に比べると筆跡が荒かったり、余白があったりと明らかに時間が かけられていないことが分かるが、画家がどのような手順で作品を完成させていくのかといったことが分かるという点で見ていて面白いものだった。
 個人的にはパリ・オペラ座の天井画の下絵の展示が興味深かった。オペラ座で演奏される著名なオペラやバレエの画面が数多く描かれており、下絵の段階では どこに何を描くのかも書き込まれている。それをもとに具体的にどの場面を描こうとしているのか考えると面白いと思った。完成品であるパリのオペラ座の天井 画も実際に鑑賞したいところであるが、美術館に持ち込むことはできないので、代わりに現地で撮影した映像プログラムが用意されていた。これは正面、左右、 上の4面をスクリーンに映すもので、これによって実際にオペラ座の席に座っているかのような視点で天井画を鑑賞することが可能になっていた。この映像プロ グラムでは他に、ランス大聖堂のステンドグラスなど美術館に持って来れない作品が鑑賞できた。しかしこれらの作品は映像でしか鑑賞できていないので、でき れば現地に行って本物を鑑賞したいと思った。特にオペラ座の天井画を下絵と見比べて、どう変化しているのかを観察して見たいと思った。

3年 上符一也