
1999年度北星学園大学「ビート・ジェネレーションとアメリカ社会」
6月24日
7月8日
7月15日
ここに掲載した受講生諸君の発言のテクスト入力には、受講生の中村 かずみさんの協力を得ました。
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6月24日
・中村
ビートをより理解するために、自分で禅の勉強を始めたので、最後のバロウズの映像を禅の心で見てみようと試みました。しかし、自分自身がまだ禅を理解しきれてないため、その試みはあまりうまくいきませんでした。映像を見てみると気が狂いそうになる感じがしました。しかし、「気が狂う」というのはどういうことなのかということも考えていくと、さらに「気が狂い」そうです。バロウズの見ていた世界を、もっと見てみたい。
・藤井
ビデオの映像は全くと言っていいほど、不可解なものに感じられた。最後の、互いの声を入れ替えている映像は、先生が朗読されていた文章に書かれていたように、確かに、境界線というものがだんだん失われていって、違和感が感じられなくなっていった。ビデオを見ているだけでも、不思議な気分になったが、もし、自分が映されて、声が入れ替わっていたら、アイデンティティロストしてしまいそうで、少し恐い気がしました。バロウズのこの実験の目的は何だったのでしょうか?
・平岡
今日のビデオはとても印象的でした。今日はなぜだかとても眠たく、ビデオが始まっているのも気づかなかったほどでした。けれども、その映像はとても不思議なものでした。いくつかの連続した場面がcutされていて交互に私たちの視界にとびこんできて、圧倒されっぱなしでした。
・早川
videoの中でくるくる回ってたものは、一体何だったのか?いくつかの映像を切って一本につなげたような映像でしたが、何をねらって作ったのだろう。時々巻き戻されているような気がした。まばたきをあまりしない人たちでびっくりした。
・ 阿部
ビデオを見て、これがカットアップなのかと思う映像にうつるまえの意味のわからない映像は一体何ですか?さっぱりわかりませんでした。あと同じような場面のくり返しが何回か続きましたが、(部屋と建物の外観のくり返し)これはすごく印象深かったです。
・岡田
4つ暗いのストーリーを持つ映画がコマ切れでつながっているこのcut upというのを初めて見た。内容はあまりわからなかった。(正直に)でもこんな古そうな映像なのに、新鮮な影響を与えてくれるのはどうしてだろうか?このようなcut upというのはある時代に流行したものなのですか?またcut upのねらいというのがあまりはっきりしないのですが…・・。最後の方で見た映像(顔しかうつっていないやつ)はとても恐怖感を覚えた。ただそれは顔しかうつっていないからか、無表情で話していたからか、とにかくあの目がこわかったです。
・石黒
ビデオの映像は、白黒で無音声だったので不気味な感じがしました。"The Cut-Ups"の映像の中に何度も同じ人の顔がアップになっていたけれどそれは誰ですか。(少年と中年の男)なんだかうつろな表情をしていて恐かった。
・後藤
聞き間違ったのかもしれないんですけど、米詩は口語英語が用いられると言ってませんでしたか?もしそうならば、なぜそうなのでしょうか?考えてみたい問題です。
・堀川
videoを見たときに音がなかったので勝手にBGMなどを付けてみたらおもしろそうだと思いました。
・日置
言葉がウイルスだという考えはなんだかとてつもないけれど面白いと思いました。同じ「言葉」でも、話す言葉と文字として書かれた言葉では、当然全く違うと思います。ビデオはよく理解できませんでした。
・坂部
「言葉のもつ不自由さ」は私が常に考えていることです。私の脳の全容は一部、もしくは全く違ったものとして私の口から表されているように感じます。これは一重に言葉を知らないのか、それとも相手に対して「この人には伝わらない」と諦めた上で言葉は無意味だと感じているのかは分からない。とにかくもどかしいです。
今日見たビデオは、シーンを切り張りして、ストーリー性よりも作り手の意図を自由かつ難解に表し、そしてアートな要素の強い現代映画に似ていると思いました。何度も登場するカメラをまっすぐ見つめる目が効果(何かは分からない)を高めていると思います。この手の映像を観た後の心地いい不快感が好きです。
・五十嵐
カットアップのビデオは、普段、音声があるということに慣れすぎていると同時にそれに頼りすぎているんだなと思いました。一連の流れをもっていない映像も、とても奇妙な世界のように思えました。映像だけで、さらにこんな風に切断していくと、人それぞれ違うイメージをふくらませたり、いろんな意味をもったりするので、そこがおもしろいと思いました。
・山内
先生が読んで下さったバロウズの「見えない世代」の文章のテープを切り離したりくっつけたりする…・という部分は1968年当時のビートルズのレコーディング作品(ex: Strawberry Fields Forever, Revolution#9)などを思い起こしました。どちらが先立ったのかなと興味が湧きました。(もちろんビートルズの方がポピュラーですし、Revolution#9は別として、Strawberry Fields Foreverはポップスの名曲だと思います。)
・松岡
今日見たビデオは、映画とも違うし、何とも言えない実験的な映像で興味深かった。作家がこういう映像を作るというのは、普通ないんじゃないだろうか。ビート世代の作家たちはいろいろな方法で自分の考えを表現していておもしろいと思う。
・福田
ビデオの音がないことに驚きました。ビデオを見ても、あまりよく意味がわかりませんでした。Cut upの機能はすごいと思います。
・上原
詩の読み方で、先生が、作品を媒介として、詩人と対話する気で読むとよいと書いてありましたが、まさしくその通りだと感じます。この間、ワーズワースの詩についてレポートを書いたとき、詩の中で、作者とふれあい、彼らの言いたいことをくみとれたときが、詩を読んでて、一番納得のいくことだと思います。バロウズのビデオは、とても斬新で、意味をもたない画像が一定のリズムでくり返し画面に現れるのを見ていると、暗示にかけられたみたいにじーっと見つめつづけてしまいました。すごくおもしろくて、何か、想像力を刺激されたような感じでした。音と画像がわざとズラされていることで、それぞれの持つ力、というか影響力が何というか、こうせまってくるというか、とても重要なものにかんじました。何か洗脳ビデオのような印象もかんじました。
・竹内
ビデオはかなり不思議なかんじのするものだった。常に誰かがどこからかじっと見ていて、何を言いたいのかわからないまま終わってしまった。あのずっと回っている鳥かご見たいのは何なんだろうか。いくら考えてもわからなかったです。Bill & Tony のは恐かったです。二人とも表情一つ変えず、まばたきもしていなかった。
・武井
ビデオについて
あのいつも、すごい早さでくるくる回ってるやつがキーワードというかシンボルなんだろうけど、それが実際何を表しているのかむずかしい。はじめはドラッグをしたら頭があんな風になるのかと思ったし、その後時間を表してるのかなとも思えてきたし、人と人のつながりみたいなのかもしれないし、要はすべてぐるぐる回るくり返しなんだよって風にも見えた。話の筋があるのかどうかもわかんない。むずかしいビデオだった。やっぱり女の人は一人もでてこないんだなあ。
・原田
最後に見たビデオは音が無くて、新鮮だった。セリフがなくても話伝えることができるのだ。画像の切り換えがとても早く、テンポよくあきさせないようになっていると思う。Cut upの作業を自分でもやってみたい。面白そうだと思った。
・山脇
退屈でした。ビデオもずっと見てると洗脳されそうだし。この人の作品を読んでみたいという興味がまるで沸かないのはなぜだろう。
・山下
ビデオの内容が全然わからなかった。無言でとても展開の早い画像だと思った。
・池田
このビデオは一回見ただけではわからないと思った。4つぐらいの種類の映像が順番に目に入ってきて、そういう作り方のものは他の作品の中では一部分使われていることもあるかもしれないが、これはずっとその何種類もの映像の繰り返しだったので、白黒で無声だったし、とても新鮮だった。スロー再生でじっくり見てみたい。
・無記名希望
詩・小説の書いてある紙を切って、そこに違うことを書いた紙をはりつけて読む、ということを聞いて、小学生の時にやったことのあるゲームを思い出しました。「いつ・どこで・誰が・何をした」というのを一人ずつ書いていって最後に通して読むというゲームでした。訳の分からない文ができたりしておもしろがってやっていました。それと、少し似ているなあと感じました。ビデオについては、映像と、写し方がとてもおもしろい部分があったけれど、意味は理解できませんでした。
・ 木下
今まで授業で紹介されてきたビート詩人ケルアック、ギンズバーグ、バロウズの中で、バロウズが私の好みにピッタリきました。こういうヘンテコな人大好きです。バロウズの言っていたことは、認識論的でおもしろかったです。私はフランスの'60sの文学・哲学に興味があるのですが、ビートの人たちといろいろな類似点があり、よい研究材料になると思いました。
・熊本
詩にしても小説にしてもあらゆる表現の目的は伝達であるだろう。言葉をつないでいくことである程度の意味を伝えることができるが、それ以上のことを伝えるためには言葉では限界がある。言葉を中心においた文学というものを学んでいる私たちにとってはこのことはもっとも重要な課題であるように思われました。
・林
この授業でストラングラーズの名前を聞くとは思いませんでした。バロウズと関わり合いがあったとは知りませんでした。プリントにカート・コベインまで出てきた。ミュージシャンと詩人は表現方法が違うだけで同じだなあと実感しますが、同時に、洋楽を意味もわからず聞いている自分はミュージシャンから見れば邪道なのかもとも思います。音が好きで聞いているだけなんですけど、でも歌詞カードも読んでみたり。ちょっと前ぶりが長かったですが、とても基本的な質問があります。なぜ、詩人は詩を朗読するのですか?ランボーは詩の朗読は意味がないだか下らないと言っていました。彼はどの意味でそのようなことを言ったかは、確実には知りませんが、私は個人的に、聞いて理解するのは、とてつもない集中力と労力を使うので、同じそれだけのものを使うなら、自分の好きな時、本を開いて使っちゃうんですけど。それと詩を読むときは必ず、後ろに説明があって、それをたよりに意味をとっていかなければ行けないみたいで、それが重要なのもわかりますが、他が全く意味がわからなくても、ある一節が、異様にかっこいいと思うのは邪道な読み方なのでしょうか?私はけっこうそういうことが多いんですが。それと、作者が表したい意味ではない意味で、とってしまったとして、それでも自分勝手な解釈に感銘を受けてしまったら、それはやっぱり邪道なのでしょうか?自分勝手な自己満足で詩を読むものではないのでしょうか?バロウズのビデオ、ある異なったシチュエーションが 4つぐらい順々に同じ感覚で繰り返されるところなんて、音楽のリフみたいですね。音つけやすそうなのに無音ですね。長くてすみません。
・ 関
バロウズのビデオを見たわけなのですが、私にはちょっとわかりにくかった。ただ、感じたのは、様々なことがあちこちで起こっていても、時間は変わることなく一定に流れているのだから、映像においていろいろな切り換えが行われても、何も不思議ではないな、ということです。
・村上
彼の行動や考え方には、かなり普通とは違う、別の言い方をすれば奇異な部分があると思いますが、それはもともと彼自身のものなのかドラッグの中から生まれたものなのでしょうか。
・向井
ビデオを見ると、白黒で早送りをしているように見られた。無声の映像を見ることは、創造力が必要だと思う。
・松田
ケルアックとギンズバーグ、そして今日バロウズに入りましたが、今までベルリンの壁にさえぎられていた「ビート」が、ドアの向こうでの会話が聞こえるくらいにまでわかってきたと思います。「何か?」と訊かれても説明できませんが、脳みそではなく、皮フでまた血で理解することができたと思います。これからは、そのドアを開けなくてはならないし、その先のくもりガラスをみがかなくてはならないし、僕と「ビート」の間にある最後のガラスは決して壊されないことがわかりました。同時にそのガラスを一生懸命みがき続け向こうを見ようとしなければならない事も感じました。
前述しましたが、脳を使って理解する事もとても大切ですが、皮フで理解するのも血で理解する事も同じように大切だと思います。ピカソの「ゲルニカ」を言葉で伝えても(脳みそで理解しても)それは不十分で、実際に見てみなければならないと思います。(たとえ写真でもかまわない)それが脳みそ以外で理解する事だと思います。大変失礼ですが、先生がどんなにある作家、作品について説明しても、それは「ゲルニカ」を説明しているのと同じで、どんなにうまく説明したとしても不十分なのではないかと思います。だから授業の中でもっと映像などを多く使うのも一つの手だと思います。
・朝倉
cut upの手法を用いたfilmは見ていて大変疲れました。このfilmに自分で音楽をえらんでつけたい気分になりました。このfilmはこういう手法を用いたことで、何が言いたいのですか?私は見ていてあまりよい気分にはなりません。何か、一つの芸術作品だと思えばよいのでしょうか。私は気分が悪くなりました。
7月8日
・藤田
先々週、休んでしまってビデオ見逃してしまいました。とても残念です。文章や詩だけでなく、視覚に直接訴えてくる映像というジャンルには以前から興味があったので。
回ってきたShotgun Painting見ました。A・クロウリーの名前が出てきてましたが、何か交流とか影響を受けてたとかあったんですか?
「誤読」について。僕の個人的な意見として、「詩人」というものは、本人の自覚に関係なく、出てくる言葉(=詩)というものが世界を表現できてしまう、そういう「人種」なのだと思います。読んだ人々が後付けで、意味づけできてしまうような言葉を無意識にでも発してしまう、そういう人々が詩人と呼ばれるのではないでしょうか。
・大嶌
以前「ノヴァ急報」を読んだことがあるのですが全くわかりませんでした。「ソフトマシーン」「爆発した切符」を読んでからでないと理解できないのでしょうか?またバロウズの著書の中で最高の作品とは何ですか?一般的な意見でも先生個人の意見でもいいので是非教えて下さい。もう一つ聞きたいのですがバロウズは中国人が嫌いなのですか?「ノヴァ」の中ではけっこう差別的に扱われていたのですが、なぜ中国人なのでしょう?又、作品の中に出てくる「ノヴァ」とは何なのですか?
・畠山
「誤読」のはなしをきくと、柳美里さんが裁判で(在日朝鮮人の顔にあざがある人が登場人物が特定できるので人権侵害だという…)で負けたことが当然のことのように思いました。
「作家の手から離れた作品はもう作家のものではない」という考えに反対している作家はいないのでしょうか、。
・阿部
作家、詩人と作品と読者の関係はすごく複雑だと思いました。私たち読者が作品を通じて作家のことを知ろうとするのは無理なことでしょうか。
・熊本
文字をもたない文化の中にも文学は成立(存在?)するのでしょうか。例えば本などの文字をしようした媒体ではなく、テープレコーダーに詩を朗読したものを発表するとそれは文学作品といえるのでしょうか。
・五十嵐
先生は詩はいかに表現するかと言うことが大事だと言っておられましたが、これが表現したいものだと作者が言い切ったら、どんなものでもそれは詩として認められるものなのですか。
・朝倉
詩を読むときに誤った読み方を積極的にし、そういう読み方をcreativeなものとして見れるとか、詩の読み方には正しさというものはなく人それぞれ解釈はちがってよいと聞いて、今までは英語の詩を読む時、単語1つとってもいろんな意味があってどれが正しいのかわけがわからなかった私にとっては、詩を自由にあやつれるということに気づいて気が楽になりました。これからは、その日の気分によって、いろいろ積極的に1つの詩の解釈を変えていきたいと思います。でも、作家の研究という目的がある場合は、やはり作家の背景を考えると、私自身の勝手な解釈を入れてはいけないのですか。
・砂原
作品は作家が書き上げてからは、読者にゆだねられる事になり、その批評や感想に応えるのは作家の仕事ではないかもしれないが、そうすると作家の仕事は作品を書き上げた時点で終わりなのだろうか。
・山下
回ってきた本が2冊ともおもしろかったです。写真からある特定の人物を削除していたり、もう1冊の方の絵とその題名のおもしろさがおもしろかったです。バロウズは宗教を信仰していたのですか?それは詩にも影響されているのですか?
・ 鈴木
バロウズについての話を聞くにつれて、「トレインスポッティング」という映画を思い出しました。先生はこの映画を見たことがありますか。
・松岡
ビート世代の作品で、例えばワーズワスのように、日本の短歌や俳句などから影響を受けたものや、そういう作家はいましたか。
・村上
視覚と音について
世に出ている詩というのは、大抵印刷された活字として表されています。昔、紙に書かれた詩の文字というのはただの黒い記号で、声に出さなければ意味がないのだという話を聞いたことがあります。でも私はその詩にふれるときの手段として必ず活字を通して読むので、その活字のもつ特徴(その自体とかバランスとか)をも詩のイメージとして一緒にとらえます。実際視覚の受けるイメージを重要視している詩もありますよね。(昔、米詩講読の授業で丸い形で書かれた詩を読みました。)先生は詩の音と活字についてどのように考えてますか?
・岡田
詩の存在が、作家の手をいったん離れてしまうともうその人の作品でなくなるものということに対し、そうだとうなずくことができた。読者の考え方によって詩そのものの意味は変わり、その作家の意図するものでなくなるかもしれないが、その詩がその読者に対しどういう感想を持つかが大事なことだと思う。
・山内
Sore Shoulderを見た時、一瞬砂漠の中にたたずんで滅びた岩で出来たインディアンのオアシス都市の遺跡のようだとも思いました。これは先生のいった積極的な誤読とは違ったものだとは思いますが、「だまし絵」を発見したような気分になりました。
余談:スターリンとトロツキーの写真が写っていたページにチェコのドプチェクのプラハの春のことについて言及されていましたが、彼の帽子ははげた指導者の一人の頭に残っていたそうです。
・石川
今日の授業の中で、言語について話していましたが、言葉はその人の解釈によって、意味の深みが違ってくるというのはその通りだと思いました。授業中に回ってきた写真集も、見る人によって感じ方も、また自分にとっての何か意味を見いだせるから芸術はおもしろいんだと思います。
・井村
今日回ってきた本の中に、たくさんの絵がありましたが、どの絵も落ち着きのないように見えた。そして見る人の目をくらませるようなすばやい印象をうけました。そういう中にも、何か不気味な感じも漂っていて、おもしろい絵だったと思う。
・須合
昔読んでみてとてもおもしろかった本でも今読むと全くおもしろくないということはよくあると思います。本だけでなく映画でも音楽でも誰かその道の権威のような人が批評したことが一般になってしまうのはやはりおかしいと思います。
・中山
この前のビデオで、音声はあったのに、あえて、音をあげなかったということを聞いて、こういう見方もあるのだなあと思った。しかし、詩に音が加わることによって意味が深まったりする効果があったりと、音によって(音がないのも含めて)いろいろな効果があったりするのだなあと思った。
・石黒
「裸のランチ」は以前に読んだことがありましたが発表していた人と同じように、生々しい表現が多いという感想を持ちました。ぜひ映画も見てみたいです。
・ 日置
前回見たビデオは、元々音声がないものだと思っていました。どのくらい印象が違うのか興味があるので、音声付きで見てみたいです。(それでも理解するのはむずかしいとは思いますが。)
・原田
写真集の表紙の目の作品が好きです。最近の映画で「トゥルーマンショー」のポスターも、たくさんの写真を組み合わせて1つの絵を作るというものでした。すごく細かい作業で、色合いを考えるのが大変だと思う。前回のビデオを音付きでもう一回見てみたいです。
・橋本
作品は常に生まれうる可能性をもっている。このフレーズをきいてかっこいいと思いました。絵がかいてある本を見たのですが、先生がはさめた黄色い紙のページ以外も見てみると、不思議な、そして楽しさを生み出していると思いました。楽しかったです。先々週休んでしまってビデオを見れなかったのが残念でした。
・ 江口
この授業は筆記試験ですか、レポート提出ですか?
・ 浜口
本の写真がすごく興味深かったです。合成のこわさがわかった。でもすごくおもしろいと思った。私たちも知らないうちにこうやってだまされたままの知識をうえつけられてるのかもと思う。
・中村
私は以前に演劇をやっていたのですが、「異化作用」の話をきいて、あのころ、そう言うことを当たり前に受け止めていたことを思い出しました。全く同じ舞台装置を、そこが部屋であるように、あるいは地下トンネルであるように演じることは日常茶飯事でした。「今見ているものは、見ているとおりのものではないかもしれない」という条件さえ与えられれば、異化作用は容易に起こりえます。一緒に芝居をやっていた人たちとの間で、それは暗黙の了解という雰囲気があったことを思い出しました。それと、詩を音にして読むという話も、今アイヌ語を習っているのですが、アイヌ語は元々文字のない言語です。言語と、文字の関係が絶対ではないこと、音にすることに意味がある、と言うことは文字のない言語が存在することに表れていると思います。
・池田
視覚と聴覚について。
その1:目は手でふさがなくても自分で閉じて見えなくすることが出来ますが、耳は手などで覆わないと聞こえなくすることは出来ませんよね。そのことがいつも不思議に思っていることです。
その2:なんだか世の中は視覚文化に重点を置きがちだと私は思います。もっと聴覚や嗅覚文化なども研究されたらおもしろいと思います。
・木下
今日ちょうど、地下鉄の中でJ・デリダーの本を読んでいました。私は、イエール学派の中でポール・ド・マンという人の本をほんの少し読んだのですが、ド・マンは哲学(西洋形而上学)をのりこえたものとして「文学」を強調していてとても興味深く感じました。野坂先生は哲学と文学の関係をどのように見ていますか?
・坂部
共通感覚をバラバラにして入れ替えるというバロウズの実験の意義と、それは可能なのかという点がまだ私には不明瞭です。詩を文字として視覚だけでとらえる場合よりも他の感覚すべてを刺激する表現方法の方が無限の可能性をもたせると思います。言葉をコミュニケーションの手段としてではなく、暗号化した模様にしてしまうこともできるのではないでしょうか。……考えていくうちに文字が"絵、または図"に見えてきました。私はこの授業での思考方向からそれていっているのでしょうか……
・野原
詩を読むときは、ある程度自分の価値観が作用すると思いますが、自分の価値観だけで読んで理解するのはどうかと思います。やはり、他の人がどのように感じ、理解しているのかというのを知る必要があると思います。映画における映像と音楽の関連性について興味がある。
・松尾
バロウズは書くべき事は目の前にある現実だけだと言っていたようですが、"カットアップ"のような技法を作ってしまうとその現実さえばらばらになってしまうような気がするのですが…。
・ 後藤
詩や、小説における「誤読」の意味についての話がとてもおもしろかったです。ビート系の作家についての発表(岡田君)が素晴らしかった。
・堀川
この授業はテストですか?レポートですか?
・平形
詩を読むときに、書いた人以上の思い入れをこめてしまうこともあるというのをきいて、その通りだなあと思いました。きっと詩だけでなく、他のあらゆる芸術に当てはまることですよね。
・長江
同じ作品でも読み上げる人によってその作品が全く違う風に聞こえることが多々あります。僕も声を出して読むことの意義はあると思うし、先生の考えに賛成です。
・早川
「詩は好きな読み方で読めばいい」これは音楽の歌詞でも同じことが言えると思った。人によって、その歌詞の意味のとらえ方が違うのと同じですよね。ある本の著者は「麻薬中毒者ではなかった」と書いていたと思ったんですが…。ウィリアム・バロウズのことではなかったかもしれません……。
・平岡
質問用紙にあったのをみて思ったのですが、私自身はcomコースで今は「文学」というものからは一切かけ離れた授業がほとんどです。「文学」というものは、ゆったりと取り組むものというイメージがあるので、どうしても余裕が持てません。Videoなどだとまだ身近なのですが、「文学」、さらに専門化された米文学の研究授業で、先生の話をきくのは、ありがたいことだと思います。ただ、もっとたくさんの情報が、手助けがほしいなあと思いました。Internetで検索したりして、調べたりしていますが、整理しきれずに莫大な範囲でつかむのがまだ難しいですね。
・富田
感覚を鍛えることは、自分の今までの視点を変えることが出来たり人生観をも変える力を持っていると思います。幼い頃は、ピアノを習ったり音楽を聴いたり詩を読んだりすることは、何のためかなどと考えたことはありませんでした。しかし、高校を卒業してから、「感覚にいい」人間にあこがれ、自分の感性の乏しさをなんとかしなければと思いはじめ、今いろいろと努力している最中です。それから今日の授業は、私の質問にとても詳しく答えていただいて、とても嬉しかったです。本を読むことも大切ですが、それ以上にこの授業を受ける意義を強く感じました。
・武井
映像で切り換えのような風にしてイメージが変わるのは本をみてわかった。次は文学でのそれを見たい。
・無記名希望
写真集が興味深かったです。
・ 鈴木
(6/17,6/24の2回、教育実習へいっていたので、欠席しました。)誤った読み方を積極的にしていくことによって、その作品がよい影響を受ける。要するに、様々な角度からの見解が作品を作り上げていくと授業の中で聞いて、ほっとしたというか嬉しかったです。小・中・高の学校教育の中では、国語のテストなどによって、作品のとらえ方を固定化されてしまう。「下線部の部分から作者のどのような気持ちが分かりますか?次から選びなさい。」というような問題に遭遇するたびに、私は答えが1つに限定されることに疑問を感じてきました。また、そのようなテストで高得点をとることは何を意味するのだろうかと不思議でした。それこそが数学と違って答えが1つではないという国語の、好きな点でも嫌いな点でもあります。
・ 関
申し訳ないのですが、私のものの見方というか視点がおかしいのか、だんだん、ビート・ジェネレーションとはいったい何なのか、何を表現したいのか、どういう感覚で作品が生み出されていったのか、根底からどうやらわかってないようです。自分で調べなくては、と思ってます。この授業を受けている人たちは、それなりに理解し、意見を持ち、興味を抱いているようで、感心します。
・高岡
バロウズについては、今日の発表者の意見からしかわかりませんが、ケルアックにしてもギンズバーグにしても、文章の前後関係がよくわからないものが多いような気がします。(例えば、突然よくわからない人名が出てきたり。)忙しくて、ギンズバーグの作品も少し見ただけなのですが、どうも私には理解しにくいです。そういった普通の人にはすぐわからないような、個性的(?)な文がビートの特徴なんでしょうか。ゆっくり時間をかけて読めばわかるのでしょうか?(勉強不足なだけかもしれません。)
大森
例えば全く関係のない音と絵をつなぐとそこからは予想されない新しい感覚を生み出せるのではないかと思う。その行為を作者とは別の人が行うと、また作者が後日行うとそれこそ「作品は読者のもの」という状態になる。
それまで当然とされていた音 絵 ことばという私たちの感覚、頭の中の結びつきを壊そうとしているのか。(例;バニラのにおい→甘そう)それとも利用しているのか。感覚を混乱させることで何か「文明」に対抗?
・ 林
最近ちょうどたてつづけに、音楽の分野でバロウズの名前を見つけました。1つはレッチリのジョン・フルシアンテがCDの最後でバロウズにThanksしているのと、もう1つは、デフストーンズのベーシストのチ・チェンがボーカリストのチノに「おまえとたぶん関係があるよ」と"Women"をあげたという話です。そこでWomenをborders.comで探したのですがありませんでした。Hard to Findにもなかったのですが…。
・ 竹内
音というのは自分が思う以上に大切なんだと感じました。詩は読み方によって良くも悪くもなってしまうものだと思うし、そう考えると難しいものだとなと思いました。
・上原
画像処理した写真を見て、本来の姿と全く異なる感情を抱いた自分に気づきました。視覚的な効果をねらった意図的なものが、それを受容する人間にどのくらいの影響をもたらすかを考えると、おそろしいかんじがしました。あと、作品を見る時期によって、一回目に見た(聞いた)ときは、すごくおもしろく感じても、その少しあとに同じ作品を見ると、全然おもしろくなかったりという自分の心の変化というか、作品をかんじとる側である私たち自身の状態の変化に気づくことがよくあります。作品とそれをうけとる私自身の関係について考えると、とても奥がふかくて、興味ぶかい問題だとかんじました。発する側とそれを受ける側の関係をつねに考えると、新しい見方がたくさんできそうだとかんじました。
・辻
今日見た本「リコンフィギュアード・アイ」はパラパラとしか見ていませんが、面白そうな本でした。印を付けてあった二つ目のページの三つの写真、それからその前のページの「兄が殺せば弟も殺す」という写真が興味深かった。意図的に写真と写真を組み合わせるとかなりはっきりした意味が生まれ、大きな効果が得られるのだなあと思いました。
・中村
今日は、バロウズがかいた絵の本を見ましたが、それぞれの絵には、あまり絵にはつけそうもない名前がついていておもしろかった。木に穴を開けた作品は名前を見てもいまいちよくわかりませんでした。彼のかいた絵には、色をふきかけたようなものが多く、あまり題材の形がはっきりとかかれているものがなかったように思いますが、彼はどういう気分のときに絵をかいたのだろうと思いました。
松田
バロウズは確かに理解し難いですが、僕らの頭にはハトが居て、彼の頭にはカラスが居て、それが常識であり、その2つが、まず同じ鳥である事を理解しなくてはならないし、自分の頭の中の常識をリセットしなくてはならないと思いました。そうしなければ、バロウズを理解する上で「奇人」とか「異常」という言葉しか浮かばなくなってしまうと思うのですが、先生はどう思いますか?
作品を生むのは作家ですが、育てるのは読み手であると感じました。優れた作品が生まれても誤った育て方をすれば駄作にもなると思います。
全ての作品は、全ての人間に属していて、すべての人間はそれを自由なものにできると思います。
7月15日
・村上
何が自然で何が自然じゃないという区別は非常にしにくいと思う。スナイダーはどのように考えていたのか調べてみたいと思います。人の手が加えられているものでも自然であるものはあると思います。
・中村
今、仏教や道教などの東洋哲学を興味深く勉強しています。西洋の人がどうして東洋思想に惹かれるのだろうと思っていたのですが、実際に自分で勉強してみると、私も東洋の思想についてほとんど知らなかったので、西洋な自分が東洋な考えに出会って新鮮な気分です。
・関
自分で調べればいいのでしょうが、ビート・ジェネレーションの戯曲で有名な作品は何ですか?授業で取り上げるのは小説家もいますが、詩人が多いように感じます。ビートといえば、詩人が中心なのですか?先生はこの授業で、私たちに何を求めているのですか?このクラスの人たちはわかってる人がほとんどなのでしょうが、私にはわかるようで、いまいちつかめません。毎回の質問や感想の中で、おもしろい言葉の使い方、表現をしているものも先生は取り上げていますよね。私には、どうも言葉を使う能力がなさそうです。言葉に対する意識が、甘いのでしょう。この授業は詩人を多く取り上げているせいか、矢口先生を思い起こさせます。先生は矢口先生を詩人としてどう思いますか?
・砂原
詩には空白が多いと思う。小説だと書かれている部分がとばされているように思う。書かれていない部分を読みとるということ、その空間を埋めることが詩を読むことの楽しみのひとつだと感じる。
・無記名希望
どうしてビート関連の人(作家たち)はそんなに仏教を意識しているんですか?
・坂部
楠本まきという漫画家を知っていますか。彼女の作品はイラストが絵画であり、文字も絵の中の一部となっています。ストーリー重視ではなく、視覚で、絶望感を味わえる、お気に入りの作家です。
・武井
オノの話が流れ的によくわかりました。いつもこの授業のたびに、作家1人1人が個性があって、いろんな性格の人がいて、でも表現方法(小説なら小説、詩は詩)は同じものをとってるということがおもしろいと思う。
・高岡
スナイダーもまた仏教徒だったようですが、やはり不思議でなりません。なぜそんなにも仏教はビートの人たちを魅了するのでしょうか?アメリカという国は、ほとんどの人が生まれたときからキリスト教なのではないんですか?彼らはキリスト信仰をやめて仏教に改宗したのですか?→勉強不足なのでレポートを書きながら調べてみます。
・松田
ハトとカラスと前回書いた者ですが、先生がこの比喩がわかりにくいといったので説明したいと思います。カラスは黒く、忌み嫌われる存在です。一方、ハトは平和の象徴として愛される存在です。しかし、両方とも、実は鳥であることに変わりないのです。僕が言いたいのは、つまり、自分の価値観はとても大切であるけれども、それは決して絶対的なものではないという事です。「私はハトが好き、あの人はカラスが好き」と言うことを受け入れてから理解すべきだという事です。そういう意味の比喩です。「私はハトが好きだから正常、あの人はカラスが好きだから異常」という事ではいけないという事です。「リセット」という言葉は、例えば遺伝子の分野で言う細胞をG―0期に戻す、つまり思考に全能性を持たせる、という事です。ものすごく簡単にいえば、柔軟に考える頭を持つという事です。「異常」といって思考を停止してしまうのは問題であるというのは先生の言った通りです。
・岡田
外国人から見る(欧米系)仏教に対する考え方というものはどのように感じているのか?人々によっては様々違うと思うが、自分がオーストラリアで見た"レッドシンライン"の中で日本人の兵士が"なみあみだぶつ"と死におびえながら念仏を唱えるシーンがあった。自分の感想としては、何か仏教を安っぽく扱っているように思え、なぜか嫌悪感を覚えた。日本人は、戦争の死の間際に念仏を唱えるほどすごい信心深い人々と思われているのか?今自分は無宗教だからその当時の日本人の仏教に対する気持ちというのもわからないからか?
・橋本
前期はあと一日で終わりですね。これから暑い暑い夏休みです。しかし、その前に地獄のような試験の山が……
・江口
試験なくてよかったです。
・浜口 Gary Snyderが日本の文化に興味があったといっていたのですが、特に何に興味があったのですか?そして日本からどういった影響をうけたのですか?
・福田
Axe Handlesという作品は英語で読んでもほとんど意味がわかりませんでした。でも先生の説明を聞いて理解できました。レポートがんばります。
・松尾
中国や仏教に関心を持った作家が多いそうですが、それは彼らの作品の中に表れているのですか?それとも彼らのライフ・スタイルが東洋風なのですか?
・桂島
他の授業で、翻訳されたものと原文を比べて小さなニュアンスの違いや、訳者の間違いなどを指摘するということをしていますが、詩も、原文でしかわからない音の感触や、表現があると思います。訳されているものは、その訳者によって文の感じが変わってしまっているということはありませんか。翻訳するということはだからむずかしいと感じました。
・中村
今、加藤先生の英語講読の授業でThe Practice of the Wildを読んでいます。この作品からうける彼の印象は自然を愛するおだやかな人という印象で、他のビート作家と違ってはげしさみたいなものを感じないので、彼もビート作家であるということが不思議な感じがした。
・山下
ゲイリー・スナイダー以外でも亡くなっていないビート作家はいるんですか?
・阿部
変人とか、普通じゃないと思われるような作家は、自分のことを変人と見なしているのでしょうか?それとも自分がまともで、他の人たちが変なんだと思うのかなと思い、気になりました。何となく前まで、ビート作家たちって変な人たちの集まりなのかと思っていましたが、最近、それほどそうも感じなくなりました。
・平岡
言葉のおもしろさについて………去年、ふと思いついてある一連の文章を英語→日本語→仏語にしたあとにまた英語にしてみました。すると必ず原文と同じ文章は成り立ちませんでした。翻訳はその言語の持つ多様性と訳す人の感受性さらには価値観の違いにより、無数の作品を生み出します。だからこそおもしろいんだなあ、と思いました。また小説と違い詩は、短い分、実に様々な見方ができ、はまると抜け出せません。レポートはしっかり書いてみたいです。
・早川
1907年にサンフランシスコで開かれた"Be-In"というのは何ですか?
・朝倉
先生は詩の中で表現したいときの構造や手法などについておっしゃっていましたが、英語の詩を書くときは正しい文法というのは関係ないのですか。日本の詩でも主語、動詞がはっきりしないものがありますが、同じことが英語にも言えますか。
・藤井
日本の文化に興味を持つ外国人、アメリカ人というのは決して少なくないと思う。異文化に対する好奇心や、伝統に対する賞賛などの気持ちは、きわめて自然なことに感じられる。しかし、スナイダーのように、仏教や禅の思想に惹かれたというあたり、スナイダーは目のつけどころが違う、という気がする。興味、研究目的というより、自分の精神に取り入れていたという点において、彼は珍しいアメリカ人といえるのではないか。(私が無知なだけでそういうアメリカ人は多いのかもしれないが。)単に変わり者で片づけてしまえばそれでおしまいだが、彼の生活や精神世界には、理解は難しいが、奥深く興味深いものを感じる。彼が日本や中国の文化に関心を持ったきっかけは何だったのだろうか。
・林
ゲイリー・スナイダーは、今まで勉強したビートの人とは違ってておどろいた。ビートは都市的で何となく荒れているイメージだった。なぜ多くの外国人が仏教に興味を持つのかわからない。私は小さい頃からなじんでいて、あたりまえのことになっているからだろうか。
・石黒
後期では女性作家の作品も取り上げる予定はありますか?
・上原
ワーズワースのように、自然と密着して育ってきたスナイダーのような作家が残す作品は、必ずその土地と深い関わりを持っていると思う。どんな作品も、その背景となっている土地と切り離しては、何のふくらみも生まれないだろうし、特にスナイダーのように自然とのつながりが強い人が生み出す作品を読むときには、常に彼の生まれ育った土地、背景を思い浮かべていないと、内容を深く理解する事はできないだろうと感じます。
・竹内
Gary Snyderはどうして中国や日本の文化に興味を持つようになったのですか?何かきっかけがあったんですか?
・辻
先週の質問についての話を聞いていると、質問の内容がなんだか哲学的で理解できませんでした。そういう人たちの読み方に比べて自分は浅いなあと落差を感じました。
・長江
僕はこれまでウィリアム・バロウズという作家は知らなかったのですが、「裸のランチ」は以前デビット・リンチ(でしたよね?)によって映画化されたときに、結構話題になり、映画雑誌などで特集されていたので知っていました。確か、その記事を読んだ時、異常な印象を受けたのを何となく覚えています。作者を知り、ますます興味を覚えてきたので、夏休みの間にぜひ映画を見て、その後小説も読んでみたいと思います。
P.S.映画とその原作はどちらを先に読む(見る)のがより効果的でしょうか。先生はどちらを好んで先にするのでしょうか?
P.S.ゲーリー・スナイダーは昔、北星に来たことがありませんでしたっけ?
・大嶌
ビートの人々の多くが東洋の文化に対して関心を持っているのはなぜなのですか?
・山脇
詩の解釈というのは書いた本人にしかできないと思います。僕も時々詩を書いたりするのですが、人に意見を聞いても自分の言いたかったこととは全く異なる解釈が飛び出てくることがありました。
・平形
詩というものは、書く人の文化や価値観がとてもよく反映される作品だなあと思った。物語や小説はそんなことないと思うのですが。でも、もしかしたら、詩ほど表面に感情がでてこないだけで、作者の考え方がきちんと織り込まれているのかもしれない。
・畠山
「スナイダーはビートの中で、違ったタイプだった」と言われましたが、異端だったという意味ではないのですか?スナイダーと同じタイプの人は(ビートの中に)いたのですか?
・ 堀川
先生が見ている天井とぼくが見ている天井とは違いますね。ぼくが見ている机と先生が見る机とが違うのと同じですね。
・藤田
ハイパーポエトリーの話、とてもおもしろかったです。最近では例えばCGですごくキレイな作品があったり、音楽でもテクノとロックの融合があったりとデジタル技術と芸術作品がうまく合わさった物がたくさんありますが、ビート系の作家でそういった新しい試みに挑戦した人はいるんですか。そういうものをどうとらえてたんでしょうか。晩年のギンズバーグとか。
質問の中で「トレインスポッティング」の話があったので、ちょっと思い出したんですが、最近読んだ「限りなく透明に近いブルー」(村上龍)もドラッグや性描写、暴力描写が多々あって、なんかフンイキが似てるなあと思いました。これは最近の社会背景がイギリスにしても日本(米軍基地だけど)にしても似かよってきてるからかな、なんて思いました。
・後藤
先生が前半話していた、ハイパーポエトリーというものが、大変興味深かった。画面上での構造や連続性で詩を表現するというのは、どのようなものなのか。インターネット等でそれに関するものはあるのでしょうか?
・野原
7月14日、深夜、NHKにおいて放送された「詩のボクシング」(?)という番組を観られましたでしょうか?作家が自分の詩をボクシング形式で朗読しあって、各ラウンドごとに優劣、勝敗を決めるという画期的なイベントでした。詩の、優劣を決めるという試みは、今までは御法度のように思っていましたが、観客の反応や詩人自身の反応を見て、こういう形式もおもしろいと感じました。作家が自分の詩を自身で朗読することこそ、本当の発表の場だと思います。観客と、その場の雰囲気を共有した作家はとても満足していたようです。このような企画が増えると、「詩ファン」はもっと増えるでしょう。
・日置
今まで出てきたビート作家は皆都会的なイメージでビート作家というのは皆そうなのかと思ってしまいましたが、Gary Snyderのようなタイプの人もいると知って少し意外でした。
・富田
後期はどんなことをするのかとても楽しみです。アメリカ文学はイギリス文学よりも歴史が浅いと思ってましたが、とてもクールでのめり込んで行きそうです。
・林
詩を読むとき、これはどういう意味だろうと一語一語ごちゃごちゃ考えるのと、無になり感情むき出しにして読むのとどちらが、どちらかといえば良いのでしょうか。しかし、後者は凡人にはむずかしいことでしょうか。スナイダーのほほえみがとても気になります。やはり、さとりを開いてしまったためなのか、サービス精神おうせいなのか。
・須合
ゲイリー・スナイダーは誰の影響で禅についての知識を多く身につけていたのですか。
・中山
ゲイリー・スナイダーの本の絵には中国の絵がありましたが、スナイダーは、中国に興味があったりとか、作品に中国の影響があったりとかしたのでしょうか。
・木下
最近、禅宗、道教について本を読んだり、考えたりしています。「非言非黙」という特色が印象的なのですが、坐禅によって、自分の中にある自然と対話しうるような直感を身につけることができるようです。野坂先生の批評は感覚派だと思うのですが、やはり先生が武術にたけているからなのでしょうか。
・井村
詩や文学にふれたとき、文字の形など視覚から味わうことも必要だが、それだけでは心からその作品にとけこむことは出来ないと思う。きちんと言葉の意味などを理解することで作品が全体的に何を言いたいのかがわかるものだ。視覚にうったえるものなら絵画でもいいはず。詩や文学は絵画ではないのだから、それら特有の楽しみ方があると思う。
・山内
元イーグルスの(でいいのかどうかわかりませんが)ドン・ヘンリーは影響をうけた愛読書にソローの「ウォールデン」を挙げていますが、スナイダーを愛読書に挙げているミュージシャンはいないのでしょうか?(例えば自然保護活動をしているジャクソン・ブラウンのような人達の中に)
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